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北京週報>>特集>>斎藤文男氏のブログ  
◇ゆったり活き活き多民族社会・ハワイ◇

 

◇加害者意識の薄い日本人観光客◇

この中立の立場による展示は、パールハーバーにある「アリゾナ記念館」でも同じく感じた。同記念館は1941年12月7日(現地時間、日本時間8日)、日本軍の奇襲攻撃で沈没した戦艦「アリゾナ」をまたぐように直角に交差して海面に浮かんでいる。空には常夏の海らしく真っ白な積乱雲がいくつも浮かんでいた。日本は今、真冬だということを忘れてしまうほどだ。奇襲攻撃を仕掛けた日本軍のパイロットも、このような空と雲を見たのだろうかと思った。真珠湾攻撃が行われる3カ月前に私は東京で生まれた。以後、日米開戦直後、山形県で疎開生活。敗戦直後は小・中学生。高度経済成長初期は高校生。60年日米安保デモの時に大学に入学した。私の人生は真珠湾攻撃から始まったようなものだ。

沈没した戦艦「アリゾナ」の海面に浮かぶ「アリゾナ記念館」

記念館は全長55.2メートル。幅は中央が8.1メートル、両端は10.8メートル。高さは中央が4.2メートル、両端が6.3メートルと中央が窪んだ長方形になっている。現地で購入した冊子によると、このデザインは「開戦当初の敗北と最後の勝利を表現したものである。」という。

戦艦「アリゾナ」は記念館の真下2・1メートルの海底に沈んでいるのが見える。爆撃後9分で沈没、戦死者は1177人。75人の遺体は回収されたが、1102人は海底のアリゾナとともに永遠に眠っている。記念館内の廟には戦死した乗組員1177人の名前が掲示されていた。これを見た瞬間私は、南京大虐殺記念館にある「嘆き壁」の被害者の名前が書かれているのを思い出した。加害者はともに日本軍だ。日本から西の中国大陸・南京までの距離は約2000キロ。東の太平洋の中央・ハワイまでは約6200キロ。小さな島国の日本がこれほど戦線を拡大したのはあまりに無謀であることをハワイに来て実感した。

南京大虐殺記念館の「嘆きの壁」を思わせる戦艦「アリゾナ」乗組員1177人の名前が書かれた記念館廟

アリゾナ記念館の展示物や解説では、奇襲攻撃を仕掛けた日本を「卑劣な加害者」とはしていなかった。真珠湾攻撃をまとめた23分間の映画でも、加害者、被害者を強調するのではなく、事実関係を客観的な視点でとらえていることに対して日本人としても冷静に観ることができた。これは100年前、先住民族への侵略を謝罪する米国人の歴史観に共通しているのではないかと思った。

記念館には毎年170万人以上の人が訪れている。日本人は年間145万人(2012年)の観光客がハワイにやってくるが、記念館には私たち以外日本人らしい人はほとんど見かけなかった。日本人は毎年8月、敗戦の日や原爆被害の時だけ戦争を反省する。しかし、ハワイに来る多くの日本人が、日米開戦の端緒となった12月8日に加害者となったことに無関心な歴史観に強い疑問を感じた。 (写真はすべて筆者写す)

「北京週報日本語版」2014年4月8日

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