◇震災直後の記者会見でも特別発言◇
今回の日本の災害に対する温総理の思いは、並々ならぬものがあるように思う。それは災害発生から3日目の3月14日、私はCCTVで正午のニュースを見るためテレビをつけたときにも感じた。ちょうど、全国人民代表大会閉幕後の記者会見が中継されていた。温総理はゆっくりとした口調で、言葉と言葉の間を大きく取りながら内外の記者の質問に答えていた。
記者の質問が終わったあと、温総理は「ここに日本の記者はいますか」と記者席を見渡した。「質問させようというわけではない。」というと、周囲からはちょっとした笑い声が起きた。しかし、温総理は真剣な表情を崩さず「私から少し話したいことある。」と言って話しだした。
「3日前、日本は史上稀に見る大きな地震に見舞われ、甚大な被害に見舞われました。この場を借りて、被害に遭われた日本の方々に深い哀悼の意を表すとともに、心からのお見舞いを申し上げます。中国も地震の多い国なので、他人事とは思えません。四川大地震では日本政府から救援隊を派遣してもらい、物資両面で支援してもらいました。中国の救援隊は昨日(13日)日本に到着し、救援物資も届けられました。われわれは日本政府の求めに応じて、今後も必要な物資を提供していきたいと考えています。日本にそのように伝えてください」。
災害発生から3日後、しかも重要な会議が閉幕した直後、大勢の内外の記者がいる中で、一つの国の災害についてこのように発言することは、日本との関係をそれだけ重要視している表れでもある。しかし、翌日の日本の新聞紙面では、地味な報道だったのは非常に残念に思う。
◇報道メディアの役割実行を◇
温総理の日本への思いについては、2007年4月、日本の国会で演説した中にも表れている。この時の訪日は「氷を溶かす旅」と名付け、「友情と協力のために来ました」と述べている。「中日両国の友好往来は、その時間の長さ、規模の大きさと影響の深さは、世界文明発展の歴史に類を見ないものであると言える」と日中関係の歴史を振り返った。
そして最後に、揚州大明寺の鑑真記念堂に前にある石灯籠について親しみを込めて語った。「これは、1980年に日本の唐招提寺の森本孝順長老が自ら送り届け、自ら燃やしたものです。この石灯籠は日本の唐招提寺にあるもう一つの石灯籠と1組になっています。この1組の灯籠は今なお消えることなく燃え続け、はるか遠くから互いに照り映え、中日両国人民の子々孫々にわたる明るい将来を象徴しています」。
この演説は中国でも全国に中継され、翌日から鑑真記念堂にある石灯籠を見に来る観光客が急増した。私も数日後、揚州に行って見たが、石灯籠の前で記念写真を撮ったり、灯籠の中にある灯りをのぞく人で一杯だった。この年は、日中国交が回復してから35周年だったが、来年は40周年の節目の年でもある。
温総理は40周年に向けて、日本の大震災が「災い転じて福となる」よう、日本の幅広い人たちにきめ細かい配慮をしているのだと思う。しかし、日本は今、震災復興や原発事故の後始末に追われている。さらには、国内政局の混乱で外交問題に手が回らない状態だ。このような時にこそ、「政府・権力者の監視」を主な役割とする日本の報道メディアが、自らの役目をしっかりと果たすことを強く望みたい。
「 北京週報日本語版」2011年7月11日 |