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【シリーズ改革開放40周年】安徽省小崗村の命をかけた誓約書
  ·   2018-05-28  ·  ソース:北京週報
タグ: 改革開放;農村;政治
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1979年の春節(旧正月)を前に、田畑を分配された小崗村の人々が考えていたのはどうやって年を越すかではなかった。彼らは鋤をかつぎ、てんびん棒で牛糞を運び、競うようにして自分の家の田畑に急いだ。 

厳さんはこう話す。「30ムー(約2ヘクタール)余りの土地を分配されました。昼も夜も働いて、1日のうち2食は田畑で食べました。労働意欲が湧いてきました」。 

小崗村の人々はきっちり口を閉ざしてあくまでも秘密を守っていたが、思いもよらないことに、彼らのそれまでとは大きく違う労働意欲が秘密をあらわにすることになった。小崗村で田畑を各農家に分配し、農家単位で農業経営をしているということは瞬く間に広まっていった。公社や県の調査が次々に入り、もう一度共同でやるよう要求した。しかし小崗村の人々の個々の農家単位で農業経営をするという決意は揺るがなかった。貸付をしないと言われても、作物の種を配給しないと言われても屈しなかった。 

1979年1~4月のわずか3カ月間に、中央は2回続けて文書を出し、こう強調した。「生産請負制を認めず、農地を分配し農家単位で農業経営をすることも許さない」。省級・地級・県級の各級幹部は小崗村のせいで極めて大きなプレッシャーを受けることになった。しかしついに、農地分配と農家単位の農業経営のおかげで、小崗村の人々は農作物が豊かに実る様を目にすることができたのである。 

厳さんは、「1979年は大豊作で、1年働いただけで5年食べていけるだけの収穫がありました」と話す。 

その年の小崗村の食糧生産総額は13万3000斤(66.5トン)。1人当たり平均所得は400元で、1978年の18倍だった。

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