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珠海の魅力がベイエリアに人材を引き寄せる
本誌記者 李芳芳  ·   2019-08-13  ·  ソース:北京週報
タグ: 改革開放;人材;経済
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昔から珠海は住みやすい街として多くの中間層から注目を集めてきた。珠海の歴史・沿革からみると、この小さな漁村は幾度となく変遷を経てきた。また1979年3月から、ここは改革開放で設置された第一弾の経済特区として市に格上げされ、今に至っている。 

珠海の香炉湾沿いにある漁女像(撮影・本誌記者王祥

「来たばかりの頃は、昼間に珠海の街を歩いていて人を見かけることはまれでした」と語るのは、珠海格力電器股份有限公司(以下、格力電器)副総裁・総工程師(チーフエンジニア)の譚建明氏だ。 

1990年代初頭には早くも中国各地から一儲けしようとする人々が珠海へ殺到し始め、当時の珠海の人口は63万5000人だった。2017年、176万人の珠海の住民のうち60万人近くが外来人口で、珠海の全人口の3分の1以上に相当していた。 

格力電器の展覧ホールで企業の発展状況を紹介する譚氏(撮影・本誌記者王祥)

1989年、湖南省出身の譚氏が華中科技大学を冷凍専攻の大学院生として卒業後に珠海へやって来たのは、珠海の経済特区としての発展の見通しに目をつけたからだ。 

譚氏が入社したばかりの頃、会社は珠海海利空調器廠という名前で、珠海経済特区工業発展総公司に属していた。1991年、格力電器の成立が正式に承認を得て、会社は軌道に乗り始め、完成品の輸入から中核部品の自社生産まで段階的な発展を経て、海外企業による技術の独占を打破し、全面的に遠心分離機の効率を高め、国家エネルギー消費効率基準のレベルアップを推し進めた。その中で、譚氏は重要な役割を果たした。 

「来たばかりの頃は工場全体でも100人程度、技術員は10人もいませんでした」。また、譚氏は次のようにも語る。「当時私を引きつけたのは格力電器ではなく、珠海という都市だったのです」。 

現在の格力電器は1万2000人の研究開発者、14の研究院、国家重点実験室と国家工程技術研究センターを各1カ所擁する。「現在から見て、やはり珠海に来たことは正しかったです。私は小さな企業が大企業へと成長する全ての過程を目の当たりにしました。そのことに参加できたのは私の誇りです」とは譚氏の弁だ。

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