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【シリーズ改革開放40周年】安徽省小崗村の命をかけた誓約書
  ·   2018-05-28  ·  ソース:北京週報
タグ: 改革開放;農村;政治
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今年は中国改革開放40周年。中国の改革開放は農村から始まった。その舞台となったのは安徽省鳳陽県の小崗村という村である。

厳金昌さんは小崗村の農民だ。1978年、彼は他の17人の村民と共に、「自分が死ぬことがあれば孤児を託す」ことを約した誓約書を交わした。彼らは土地請負責任書に赤い指印を押し、「生産責任制」を実施した。これを機に、中国農村改革がその幕を開けた。その年、彼は35歳。家には5人の子供がいた。 

40年前のあの寒い夜、暮らしていくための必要に迫られて押した指印が、広大な中国の大地で大きな風波を巻き起こすことになるなどと、どうして厳さんに想像できただろうか。 

厳さんは言う。「指印を押したのは自分たちを縛るためでした。それまでの政策では許されていなかったので、法を犯した場合に生じた責任は皆が共同で負う。誰も責任逃れはできない、と。まさか党が認めるとは思いませんでした。習近平総書記は2016年4月25日に小崗村へ来た時に、『小崗村は中国農村改革の主要発源地だ。生産力を解放した』と言っていました」。

10年のうち9年は凶作というのが当時の鳳陽県の実情だった。1976年の小崗村の人口は111人。働き盛りの人が1カ月懸命に働いても3元も稼げなかった。こんな苦しい暮らしはいつ終わるのか?農民は田畑を目の前にしながら、ただ餓えるのを待っていられるのか?厳さんはそうは思わなかった。小崗村の村人全員がそう思わなかった。厳さんは言う。「全員がこう考えていました。土地を各農家に分配して初めて、労働意欲が湧き、農民が耕作の自主権を持てるようになり、食べていくことができ、多く働いたものがその分多く得るという社会主義の原則を本当の意味で体現することができる、と」。 

1978年、安徽省は100年に一度の干害に遭い、そのまま手をこまねいていれば一家が餓え、離散するという事態に陥った。小崗村の人々は思い切った行動に出る。死を待っているよりは、ひそかに始めてみることにしたのである。

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