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ガラス瓶に空き箱、人々が「ガラクタ」収集に熱中する理由とは?
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· 2018-11-22 · ソース: |
タグ: ガラクタ;習慣;社会 | 印刷 |
この他にも学生時代や研修時代の教材をとっておくのが好きな人もおり、これまで参加した様々なイベントの参加証などをとっておくのが好きという人もいる。
モノを捨てられないというのは、彼らの親世代がいつもやってきたこと。「ガラクタ」をとっておくのが好きな若者たちや中年の人々、彼らは今、親世代が歩んだ道を突き進んでいるのかもしれない。
彼らはなぜ「ガラクタ」をため込むのが好きなのか?
国内のQ&Aサイト「知乎」に、「ガラクタを取っておく癖はどう治す?」という質問が投稿されたことがある。
この質問には、「ガラクタ・コレクション」の習慣と非常に良く似ており、「明らかにもはや不要と思われるモノなのに、まるで貴重な宝のように扱い、コレクションする。そして常に、いつかまた使うことがあるかもしれないと思い、捨てるのは勿体ないと感じてしまう」と続いている。
これもまた「ガラクタを取っておく」多くの若者の心の声なのかもしれない。
ここでの「ガラクタを取っておく癖」とは、冗談交じりではあるものの、その原因は実は深いところにある。これは中国的な生活哲学である「モノは最後まで使い切る」という考えにあるのかもしれない。以前は物質的に乏しく、伝統として倹約が美徳とされていた。そのため人々は今は使わないが、「この先もしかしたら役に立つかもしれない」モノならばとっておきたがり、それは例えば空のガラス瓶は花瓶として使えるかもしれず、端切れは衣類の継ぎ当てに役立つかもしれないといった具合だ。
このような生活哲学は、世代をこえて連綿と続いてきた。今日においてはそのスタイルが変わっただけに過ぎない。
または陳皮さんが言っているように、「ガラクタ」それぞれには人々の記憶が込められており、ひとつひとつの記憶もまた、人生の一部であるので、それらを集めていくことで、人生という大いなる旅路における自分という存在を描き出せるのかもしれない。(編集KM)
「人民網日本語版」2018年11月21日
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