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ミャオ族の村人に「大伯母」と慕われる大学教授(一)
本誌記者 馬力  ·   2017-09-29
タグ: ミャオ族;貴州;社会
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張暁松教授とミャオ族の村人たち

フィールドワークの過程で、張教授は当時100世帯余りあった村にお年寄りしかおらず、若者は皆外に働きに出ていることに気づいた。貧困のため、おばあさんたちは嫁いだ時に持参した花嫁衣装をほとんど売ってしまっていた。「一軒ずつ聞いて回り、最終的には村に19着残っていることが分かりました。売ってしまった花嫁衣装の中には、ヤンさんが16歳で嫁いで来た時、母親が刺繍してくれた花嫁衣装もありました」。張教授は、「売られてしまった花嫁衣装はミャオ族文化の流れを汲み、伝承するもので、代々のミャオ族の母親たちの思いの結晶。値段がつけられないほどの宝です」と言う。 

こうした情况が分かると、張教授と同行者はすぐに季刀村で「手」(手と手をつなぐ)プロジェクトを展開し、「人と衣」計画を実施することを決めた。「19着しか残っていない母親たち手作りの花嫁衣装を完全に復元できるのだろうか?」当初は張教授にも皆にも見当がつかなかった。 

「出会った時、ヤンさんは『自分の花嫁衣装は、ミャオ族特有の双針繞線繍(2本の針を使って線に沿って刺繍する手法)で、母親とそれより前の世代の人しか刺せないもの。自分は全然できない』と言っていました。気落ちとやるせなさが混ざった表情をしていました」。張教授たちの協力の下、すぐに季刀村の刺繍グループが立ち上がった。 

まずやらなければならなかったのは、母親たちのミャオ族刺繍の技を思い出し、学ぶことだった。 

「私たち貴州農村ツーリズム発展センターが季刀でこのプロジェクトを始めた当初は、皆どうしたらいいか分からず戸惑っていました。当時はとにかく現存する19着の花嫁衣装を守ることを目指しました。ヤンさんたちの世代がいなくなったら、この世代の花嫁衣装も一緒に失われ、村の伝統の技も消えてしまう。村のわずかな文化的な遺物はもう存在しなくなり、伝統文化が根こそぎ引き抜かれてしまう。そう分かっていたからです」。張教授は、「その時から、村の女性たちは少しずつ双針繞線繍を習い始めました。とても大変でした。でも皆とても真剣に取り組みました」と話す。 

「北京週報日本語版」2017年9月29日

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