中国版新幹線の出発を前に、記念撮影をする乗客
07年に航空輸送量は貨物、旅客を含め世界2位に。飛行機は中国人にとってごく普通の交通手段となった
80年代、鉄道という新たな事物が中国に導入された当時、官民は機関車を「火輪車」と呼び、陝甘総督の左宗棠が『復総署論帖』の中で「鉄道はもともと火輪車により敷設された」と書いたことで、次第に「火車」と呼ばれるようになっていった。
中国は国土が広大で、鉄道は物流の大動脈であるだけでなく、庶民が長距離の旅をする上での大動脈でもある。改革開放以来、鉄道輸送は「国民経済の発展を制約する重要な原因」とされていた状況から、徐々に世界の先進国に仲間入りしていった。とくに97年以降。6回にわたる大規模なスピードアップにより、旅客輸送力は大幅に向上し、所要時間も大幅に短縮された。世界で海抜最高、総延長最長の高原鉄道――青海・チベット鉄道の開通により、列車の汽笛は中国大陸の隅々にまで響き渡るようになった。
鉄道では北京と上海、広州を中心とする「スピードアップ圏」がほぼ形成された。半径約500キロにある都市間で「早朝出発・午後到着」、1200キロ-1500キロ間では「夕方出発・翌朝到着」、2000キロ-2500キロ間では「1日で到着」を実現。同時に、従来の緑色車体の汽車が次第に歴史の舞台を退くとともに、列車は「星クラスホテル」となり、車内環境も絶えず改善されてきた。主要都市間の快速列車は、最高時速が200キロ以上、一部区間では250キロ。20年までに、営業鉄道総延長は10万キロに達すると見込みだ。
都市交通の面では、地下鉄や新交通システムは住民の日常的な外出にとって重要な手段となり、交通渋滞という難題を解決する上でもプラスとなっている。それでも、路線が増え続ける地下鉄でさえ人口増には追いつけず、出退社する多くの地下鉄利用客は“熾烈な戦い”に巻き込まれている。
改革開放以来、民間航空事業も飛躍的な発展を遂げた。人類で最も先進的で快速な交通手段であっても、飛行機に乗ることは、30年前には大半の中国人にとって望んでもかなわぬ夢だった。現在では飛行機に乗ることも列車と同様に日常的となり、空港のターミナルビルはかなりの賑わいを見せている。
78年の旅客航空輸送量はわずか延べ231万人、輸送総回転量は1キロ当たり3億トン。06年には輸送量は同1億6000万人、総回転量同306億トンと、世界第2位に飛躍した。
この30年来、自動車や列車、飛行機などの近代的な交通手段が発展してきたことで、中国人の活動範囲は大幅に広がり、世界は非常に小さな“地球村”に変貌。過去、十数日あるいはより長い時間を要した旅は、今では十数時間の飛行で目的地に着くことができる。朝、リラックスしながらパリでコーヒーを飲む。夜、北京に戻ってお茶を飲むことも可能になった。
「チャイナネット」2008年10月17日 |