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川崎広人さん 中国の農村で循環型農業に取り組んだ7年間
本誌記者・金知暁  ·   2020-05-25  ·  ソース:北京週報
タグ: 農業;貧困脱却;中日交流
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朝6時、中国で暮らして7年目となる川崎広人さんは毎日決まった時間に起床する。簡単な朝食を済ませた後、彼はまず堆肥と液体肥料の工場の様子を見に行き、温室で除草をし、それから畑で作物の育ち具合を確認する。これらの作業が終わると、川崎さんは顧客と会い、提携の打ち合わせをする。午後には再び温室へ行って、従業員と夕方6時まで仕事をする。 

想像しがたいかもしれないが、これは今年で74歳の日本人が中国の農村で日々暮らし、仕事をする上での日課だ。岩手県出身の川崎さんは2014年から河南省新郷市原陽県官廠鎮小劉固農場で農業専門家を勤め、循環型農業の技術を広めている。 

普段の川崎さんはいつも紺色の作業服を着て迷彩帽子を被り、メガネをかけている。笑顔を絶やさず、話し方も優しい。しかし農場での仕事となるや、川崎さんは思わず大声をあげて、農産品の質を保つため、さまざまな標準をしっかり守るように従業員たちに厳しく求める。このような川崎さんは農場で働く若者たちにとって、優しい日本人のおじいさんであると同時に、仕事を決しておろそかにしない厳しい先生でもある。

河南省新郷市原陽県官廠鎮小劉固農場で農業専門家として働く川崎さん(写真は本人の微博<ウェイボー>から)

中国へ来る前に、川崎さんは岩手県生活協同組合連合会で働いていた。2009年に定年退職したのち、彼は山東省にある青島農業大学の招きを受け、そこで1年間学術交流をした。「当時は本当に山東省の農村の光景に驚きました。家畜の糞を処理せずに使っている農民がまだいて、衛生的ではなく臭いも相当なものでした。また、化学肥料と農薬を過剰に使用していて、土壤環境の保護にもよくありませんでした」と、川崎さんは当時のことを振り返った。 

しかし、この発見こそが川崎さんを新たな人生の目標へ導くこととなった。それは中国の農村でグリーンな農業を発展させることだ。 

交流を終えた川崎さんは日本へ戻り、中国語を独学しながら、堆肥の技術を勉強していた。「私は中国で堆肥の技術と循環型農業の理念を広め、有機栽培を通じて農民たちがよりお金を稼げるようにし、中国の農業と日中友好に貢献したいと思っています」。このような使命感を胸に抱き、2013年に当時66歳だった川崎さんは30キロ以上の荷物と書籍を携え、再び中国の大地に降り立った。

何事も始める時が難しい。最初の9カ月間、川崎さんは中国各地を回って、農場の経営者たちに循環型農業の実証試験を行うアイデアを説明したが、全く聞き入れられなかった。2014年1月、友人の紹介で川崎さんは小劉固農場にやってきた。 

小劉固農場がある原陽県は黄河と隣接しており、河南省で瀬の面積が最も大きい県であり、長年にわたって風と砂による被害、干ばつと水害が発生しているところでもある。2014年、原陽県は河南省の重点貧困県に正式認定された。「当時、ここの状況はひどいもので、道路はなく、農場には何も植えられておらず、荒れるままになっていました」と川崎さんは語った。

川崎さんは農場の状況を詳しく見学し、当時の農場の責任者だった李衛さんにレポートとともに手書きの循環型農業説明図を送った。川崎さんのこのアイデアはもともと循環型農業を模索していた李さんの心を動かした。李さんは川崎さんにこの地に留まって欲しいと頼み、川崎さんも異郷で知己に出会ったかのように感じて、2人はすぐに意気投合した。

循環型農業は理論上簡単そうに思えるが、実際にやってみると容易なものではない。2014年、川崎さんは農場のスタッフと一緒に堆肥の実験を何回も行った末、2015年1月にはついに1回目の有機トマトの栽培が始まった。だがその年の3月、強風が農場の温室を破り、植えたばかりのトマトの苗は大損害を被った。8月、河南省で発生した高温により温室内の温度が高くなりすぎ、トマトが病気にかかった。11月には温室が大雪で倒壊してしまい、トマト栽培試験は再び失敗した。

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