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ラッキーストリートで幸運を掴んだ料理人 中国で日本料理を広め続ける小林金二さん
本誌記者・金知暁  ·   2020-10-27  ·  ソース:北京週報
タグ: 日本料理;飲食;中日交流
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細長い階段の壁には焼き鳥、京都清水寺、一休さん、通勤電車内のサラリーマンなど日本をイメージさせるさまざまなポスターが貼られており、それらを目にしながら2階に上っていくと、日本の人気ドラマの主題歌が耳に入ってくる。お店に着き、扉を開けるやいなや聞こえてくるのは、スタッフの「いらっしゃいませ」の声だ。流暢な日本語と日本の風情溢れる内装には、まるで東京の街角にあるお店にでも入ってしまったかのような錯覚すら覚える。

ここは北京市朝陽区好運街(ラッキーストリート)にある「二階堂居食屋」という日本料理店だ。カウンターの奥では、小林金二総料理長が忙しく働いている。小林さんは現在、北京蔵善餐飲有限責任公司の副総経理を務めており、「二階堂居食屋」を含めて複数の日本飲食店を経営している。

「二階堂居食屋」の廊下(写真=本誌金知暁記者)

「孤独」な日本料理店からにぎやかな「深夜食堂」へ

1989年10月、当時33歳の小林さんは北京飯店の中日合弁日本料理店である「五人百姓」の総料理長として東京から派遣され、北京市内で最も若い日本料理店の料理長となった。

当時の北京にはまだ日本料理の食材を扱っている店がなく、大半は日本から持ってくる必要があり、マヨネーズなども自分で最初から作らなければならず、苦労が多かった。「でも今の北京では、日中合弁の食品会社がますます多くなり、味も日本とほとんど変わりませんし、海鮮などはECプラットフォームで簡単に買うことができて、本当に便利になりました」と小林さんは語った。

北京蔵善餐飲有限責任公司の小林金二副総経理(写真=本誌金知暁記者)

食材の調達が便利になり、北京にある日本料理店の数も増えてきた。小林さんによれば、1989年には北京に日本料理店が8店舗しかなく、お客さんも日本人がメインだったという。「時々中国人のお客様も来ましたが、多くの人は日本料理が美味しいから食べるのではなく、日本料理を食べることをある種のステータスとしていました」と小林さんは当時を振り返った。しかし、2019年末には、北京市内に日本料理を出すお店が2800店余りに達しており、「現在ではほとんどの中国人が日本料理を知っており、日本と日本料理が好きでお店に来るようになりました」という。

「16年前、私は友人のサポートのもとでラッキーストリートに来て、今『二階堂』がある場所の地下1階で、初めて自分の日本料理店をオープンさせました。中国では地下に行くと運気が下がると思われますが、私は美味しい料理を提供すればお客様がたくさん集まってくれると信じて、『蔵善』という屋号を付けたのです」と小林さんは説明してくれた。2010年前後、「蔵善」を訪れる中国人のお客さんが多くなり、小林さんは立て続けに日本料理店を開いた。今では特に祝日や週末の夜になると、「お店が忙しすぎて回らない」という。

知る人ぞ知る「孤独のグルメ」的な日本料理店から、現在のように賑わいを見せる「深夜食堂」へと変わり、小林さんはラッキーストリートで幸運を掴んだ料理人となったのだ。

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