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勝利のガッツポーズで中国に警鐘を鳴らす水谷隼選手
  ·   2016-08-23  ·  ソース:
タグ: 五輪;リオ;中日交流
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リオ五輪で中国卓球男子チームに一矢報いた唯一の選手は、日本の水谷隼選手だった。3対2で許■(日へんに斤)選手を破った水谷選手は、跪いて勝利のガッツポーズをした。この様子は、中国卓球男子に警鐘を鳴らす一幕でもあった。この時まで、オリンピック卓球男子団体戦史上、中国チームが試合を落としたのは2ゲームだけで、いずれもロンドン大会でのゲームだった。そして今、中国卓球男子は3度目の敗北を喫した。劉国梁監督と愛弟子である選手たちはいずれも、潜在的な危機感を抱いた。

○未曽有の抵抗に遭遇

日本との男子団体決勝で、中国は未曽有の抵抗に遭った。劉国梁・監督も絶えず身体を起こして選手たちに檄を飛ばした。というのも、天をも恐れぬほどの強大さを誇る中国卓球チームにとって、対外試合で1ゲームでも落とすことによるマイナス影響は計り知れないことを、劉監督は十分承知していたからだ。劉監督が何よりも恐れていたのは、もしこの決勝で金メダルを獲得できなければ、卓球チームにもたらされる打撃は計り知れないということだった。

幸いなことに、中国男子は落ち着いたプレーを見せ、監督が想像していたような最悪の事態には至らなかった。だが、危機は本当にやって来た。特に、27歳の水谷隼選手はここ数年で、中国チームにとって最も脅威となるほどの実力を備えた選手に育ってきた。水谷選手はこれまで、許選手に勝ったことはなかった。このこともおそらく、劉監督が決勝のシングルスに、張選手ではなく許選手を送り込む決め手となった。ところが、許選手に一度も勝てず、ひたすら打倒を目指してきた水谷選手が、今回ついに攻めのプレーで許選手とせめぎ合い、勝利を勝ち取った。中国男子は今大会で初めてゲームを落とした。1ゲームを中国からもぎ取った日本チームは、4年後、自国で王者中国に勝利しようと闘志を燃やしている。日本のエースとして、水谷選手は、「僕たちは、来る日も来る日も努力を積み重ねている。中国に勝てる日が来ることを100%信じている。4年後の2020年にこの願いが実現するだろう」と話した。

○2008年にエリート選手育成計画を展開

日本の卓球がこのような大きい進歩を遂げた理由はどこにあるのか?これは国を挙げて行った強化計画が効果を発揮したといえよう。水谷選手は、JOC(日本オリンピック委員会)が2008年にスタートした選手育成事業で重点強化選手に選ばれている。

北京五輪後、JOCは卓球振興計画を発表した。同計画は、特に成績優秀な小学生を対象としたもので、彼らに総合的で万全に整えられた育成・強化トレーニングを行うというものだった。今大会の卓球男子団体に出場した水谷隼・吉村真晴・丹羽孝希の3選手はそれぞれ、5,6歳の頃に卓球を始めた。また、日本卓球協会は1980年代に全日本卓球選手権大会の小学生以下の部を開催するようになった。同大会には小学6年生以下の「ホープス」、小学4年生以下の「カブ」、小学2年生以下の「バンビ」の3種目が設けられている。水谷選手や福原愛選手は、このような環境のもとで実力を伸ばしてきた。

日本で最高レベルの卓球リーグ戦「全日本卓球選手権大会」は、さまざまな年齢層の選手が参加しており、中には小学生の姿も見られ、高学年の学生が低学年の学生に負かされることも珍しくない。このほか、日本には優秀なアスリートを海外大会に派遣するための基金も設置されており、水谷・丹羽の両選手は同基金を利用して、大学在学中に海外のプロフェッショナル大会で経験を積んだ。

日本の卓球が国を挙げてのアスリート育成・強化体制によって、成績を伸ばしてきたのも至極当然のことだ。2006年6月時点での日本男子の世界ランキングはまだ第18位だったが、2013年には第3位まで躍進した。今回のリオ五輪では五輪史上初めて決勝まで進み、銀メダルを獲得した。

今から4年後、地元東京で敵を迎え撃つ日本卓球チームが中国にもたらす脅威は、おそらく今より倍増することになるだろう。(編集KM)

「人民網日本語版」2016年8月22日

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