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60年の成果
スローガンから見た中国農村の変化②

  

       “大躍進万歳!総路線万歳!人民公社万歳!”

  1958年5月に開かれた中国共産党第8期全国代表大会第2回会議では、「十分にやる気を起こし、高い目標に向かって努力し、多く、速く、よく、むだなく社会主義を建設する」という毛沢東主席の提案によって打ち出された社会主義建設の総路線が採択された。すると、総路線そのものと「総路線万歳!」のスローガンが村の壁に書かれ、それが長年にわたって、人々に社会主義建設を呼びかけるスローガンとなった。

  「総路線」の “速く”は、まず鉄鋼生産で「英国を追い抜き、米国に追いつく」ことだった。

  全国的な「大煉鋼鉄」運動(製鉄運動)は1958年に最高潮に達した。その時、賈清傑さんはわずか9歳。「力仕事はやれないので、大人たちは私にふいごを引っ張る仕事をやらせた。製鉄用のふいごは2メートルほどの長さだったので、私たち数人の子供はそれを引っ張るのに、その都度、前へ3歩駆けてから、また後ろへ3歩後退しなければならなかった」と賈清傑さんは言う。

  「当時の幹部が、山中の石は鉱石なので鉄鋼をつくることができると言ったため、村民たちは少しも疑わずに技術者の指揮に従って山へ鉄鉱石を採取に行った。だが、しばらくしてから、溶鉱炉に入れた鉱石をどんなに長く製錬してもほんの少しの鉄鋼しかとれないことに気づき、幹部の言ったことがまったくでたらめだったと分かった」と言う賈清傑さんはさらにこう言う。

  「あの時はみんなとてもやる気になっており、数年後には英国を追い越し、米国に追いつけるのだと思うと、私たち子どもですら、ふいごを引っ張っても少しも疲れを感じなかった」と。

  当時は、農民の家の鉄鍋などさえも生産大隊に集められて製鋼に用いられた。

  1959年、桃渓鎮人民公社の社員たちは村の「大食堂」で集団での食事を始めた。初めに食べたのはお正月でなければ食べられない饅頭やうどんなどだったが、しばらくしてから小麦の食べ物はトウモロコシの食べ物に変わり、たまに食べられるうどんも、麺は少なく野生植物の入ったものが多くなった。育ち盛りの賈清傑さんは、いつもひもじい思いをして、「食堂を出たばかりなのに、また腹がすいたような感じがしていた」と当時を振り返った。

  「北京週報日本語版」2009年9月11日

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