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習近平総書記の春節の足跡 10の瞬間
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· 2022-01-27 · ソース:人民網 |
タグ: 春節;旧正月;政治 | 印刷 |
習近平総書記は2013年以降毎年、春節(旧正月)を前に大衆のもとを訪れ、世間話をし、暮らしぶりを尋ね、人々の声を聞き、祝福の言葉をかけている。
習総書記は様々な省(自治区・直轄市)に足を運んでおり、その行程は往復2万キロメートルを超える。各地の実情を「たとえ1日1ヶ所だけでも」見るためだけに、標高3000メートル以上の尾根を越え、マイナス30度以下の厳寒もものともせず、さまざまな交通手段を乗り継ぎ、揺れの激しい道中の苦労もいとわない。貧しい農民、第一線の労働者、独居老人、両親のいない障害児など、幾千幾万の末端の労働者や庶民を、習総書記は常に最も気にかけている。
(1)2013年2月2日-5日、甘粛省定西市・臨夏市
習総書記は、この地で生活難を抱える人々のことを常に気にかけている。彼らの手を取りながら、食糧は足りているか、最低所得は保障されているか、医療は受けられるかなどを尋ね、人々から肯定の答えを得ると、総書記は喜びと安堵の表情を見せた。
(2) 2013年2月8日、北京市
大晦日の前日、習総書記は北京地下鉄8号線の建設現場を訪れ、第一線で持ち場を堅守する労働者達を慰労した。工事現場にある鉄筋工・範勇さんの小さな仮設住宅で、習総書記は一家に対し、「せっかく来たのだから、北京の観光名所を訪れ、一家団欒を楽しんでください」と語りかけ、かがみこんで親しげに範さんの娘と交流した。
(3) 2014年1月26日-28日、内蒙古(内モンゴル)自治区
習総書記は呼和浩特(フフホト)市の児童福祉施設で、聾唖の少女・王雅妮さんと休暇で帰省した大学生・閆志浄さんを、勉強に励み、学業を成就するよう励ました。王さんは習総書記に親指を曲げて見せ、手話で「ありがとうございます」と伝えた。総書記は「親指を立てると『良い』、曲げると『ありがとう』」と言って、こぼれるような笑みをたたえ、手話の「ありがとう」のポーズをしてみせた。
(4)2015年2月13日-16日、陜西省
長年離れていた陝西省延川県梁家河村に、この黄土の地に、習総書記が帰ってきた。そして総書記は村人たちと一緒に、歩きながら話をした。
知識青年だった当時も、人民の指導者となった今も、習総書記は常に梁家河村の村民達と心と心で通じ合っている。村民の王憲軍さんに一目で気づくと、「盈児、年を取ったね」と王さんの幼名で呼びかけた。習総書記は、人民公社の生産隊に入隊してこの地で暮らしていた時代の大家である呂侯生さんが足の病気で義足をつけたことを覚えており、会うとすぐに義足の調子や生活の様子を尋ねた。昼になると、村民代表とともに梁玉明元書記の家で簡単な農家の食事をとった。
(5) 2016年2月1日-3日、江西省
井崗山の農村では、年越しの際に糍粑(少数民族伝統の餅)をつく。
この年の春節を前に、習総書記は革命聖地である井崗山を訪れた。糍粑をついている一家を見ると、習総書記も興味津々で加わり、村民達と共に杵を手に取り、糍粑つきを始めた。総書記は貧困家庭には年越し用品を、子どもたちにはカバンを贈り、各家庭が良い新年を迎えられるよう祈った。
習総書記は「全国の小康社会(ややゆとりのある社会)建設の道のりにおいて、革命聖地も足並みを揃えて前進する必要があり、誰一人取り残されてはならない」と述べた。
(6)2017年1月24日、河北省
「一家にはどれくらいの広さの土地があり、何を栽培し、収穫はどうですか?」。生活難を抱える徐海成さんの家で、習総書記は村民達と共に、その年の収支を計算し、次の年の貧困脱却計画を立てた。また、徐万さんの家では、総書記が台所に入り鍋の蓋を開けると、中には蒸したての饅頭があった。
世間話をしながらも、習総書記が気にかけていたのは、全ての人々を一日も早く貧困から脱出させ、小康へと導くという厳粛な約束だった。習総書記は「貧困の根絶、民生の改善、共同富裕の実現は社会主義の本質的要請であり、中国共産党が揺るぎなく志す奮闘目標だ」と述べた。
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