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豊かな自然と客家の風情 土楼から漂う米酒の香り
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本誌記者・蔡夢瑶 · 2022-11-11 · ソース:北京週報 |
タグ: 客家;文化;社会 | 印刷 |
客家人が建てた「囲屋の郷」
龍南の山々は清らかで美しい景観を育んだだけでなく、交通が未発達だった古代に、戦乱や天災によって故郷を離れ、ここに流れ着いた人々に安心して暮らせる場所を与えた。
歴史上、江西南部はかつて5回、大移動でやって来た北方の移民を受け入れた。当時の戸籍には「主」「客」の分類があり、移民は皆「客籍」に組み込まれたが、「客籍人」は「客家人」と自称していた。南遷した客家人と南方の少数民族が相互に融合し、独自の民俗文化を形成した……これが現在の漢民族八大民系の一つ――客家の名称の起源だ。
龍南は客家が集中する主要地域の一つで、唐・宋時代以来、南遷してここに来た客家人は代々ここで暮らし、客家の特色のある民家――囲屋を建てた。龍南で現在まで保存されているのは、国家重点文物保護単位の関西新囲、燕翼囲、烏石囲など、376カ所の客家囲屋だ。
昔、客家の人々は山野に隠れ住むことが多かった。野生動物や強盗からの被害を防ぐため、客家人は大勢で集まって居住し、各家屋をつなげて内部を取り囲むようにし、防御性の極めて高い囲屋を生み出した。
『大魚海棠』に登場する円形の囲屋とは違い、龍南地域の囲屋の多くは四角形だ。四辺にはたいてい2~4階建ての囲楼があり、四つの角は全て望楼か砲楼(銃眼のある望楼)で、まるで要塞のようであり、「東洋の古代ローマの城」と言われることもある。
中でも、関西新囲はこれまで国内で発見されたうちで、保存が最も完全で、構造・機能が最も揃っている代表的な客家囲屋だ。全体は「回」の字型で、高さは3階建て、内部の100余りの部屋は配置が科学的で、構造が厳密である。正門は東と西に二つ。囲屋の中央には、多くの建物が規則正しく並んでいる。それぞれの建物の間は屋根のある廊下でつながっていたり、壁で遮られたりしている。西門の外には2000平方㍍の公園のような空間が設けられ、遊びや休憩の場所になっている。
龍光囲も代表的な龍南囲屋の一つだが、大部分の囲屋が灰色れんが(4)や玉石などで造られているのとは違って、外壁が長方形の石材を積み上げてできており、全体の造形が優美で、バランスがとれている。周囲には2本の川が、外敵を防ぐ堀のように流れており、後方に広がる棚田は山の麓までつながっている。美しい山水や棚田に映える龍光囲はまるで桃源郷のようだ。
主人の文化的修養や身分・地位を示すため、龍南囲屋の内部の装飾はたいてい華麗かつ繊細で、素晴らしい彫刻が施されている。花鳥虫魚や山水楼閣、歴史的人物の物語など、どれも生き生きとしている。梁には、コウモリ、龍、ザクロなど、子だくさん、幸福、富貴、如意などを象徴するものが彫刻され、素晴らしい生活に対する人々の期待を表している。
囲屋の正門を入り、丸石が敷き詰められた地面に立ち、顔を上げると、たくさんの部屋がぎっしりと並んでおり、幾重にも連なる建物やさまざまな大きさの吹き抜け(5)の庭が不思議な絵巻を織りなしている。正門前の開けたスペースには住民の自家製の乾物が干され、客家の装いの女性が古い織機を使いながら、客家語の小唄を口ずさんでいる。ここではまるで時間がゆっくりと流れているようだ。
長い歳月の中、龍南の大小さまざまな囲屋にはそれぞれの物語と伝説が残された。井崗村の弾子寨囲には次のような逸話が語り継がれている――清代のころ、盗賊団が囲屋の住民を襲おうとした。囲屋は守りやすく攻めにくい(6)上、住民が対抗することを決めたため、盗賊は水くみの際に通る門に仲間を置いてふさぎ、水源を絶ち、囲屋を自滅させようとした。だが、10日たっても、囲屋の中にはまだ水がある様子で、洗濯物を竹竿に干している村民もいた。打つ手がなくなった盗賊は結局そこをあきらめた。実は、頭の良い村民が家々から茶の実をしぼった油を集めて服を濡らし、水がまだ残っている様子を装い、盗賊を惑わしたのだった。
関西新囲の内部にある石彫や石刻の装飾品
山に寄り添うように建てられた関西新囲。外壁には銃撃などに使う穴が無数にあり、非常に高度な防御システムを備えている
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