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広西チワン族自治区乍洞村の貧困脱却レポート① 道路の開通で実現した村民の豊かになる願い
本誌記者・李一凡  ·   2020-10-10  ·  ソース:北京週報
タグ: 貧困脱却;インフラ;社会
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山に囲まれた乍洞村は、広西壮(チワン)族自治区河池市宜州区劉三姐鎮に位置する。宜州区は「中国の養蚕のふるさと」と称され、470年余りに及ぶ桑の葉の栽培と養蚕の歴史を持つ。

覃永福さんは村の養蚕農家で、養蚕業に携わって17年になる。「今は1年に13回出荷できます。一度にだいたい3万匹分で、いつも買い付け業者からの電話があります」と覃さんは笑顔で語った。

想像し難いのは、仕事が順調で衣食住に困っていない覃さんは、4年前に貧困から脱却したばかりだということだ。

乍洞村の風景(写真・本誌張巍記者)

幾重にも折り重なる山々の間に緑鮮やかな田畑が見え、清らかな湖はまるで鏡のように青い空と白い雲を映し出す。乍洞村の景色はまるで絵画のように美しく、桃源郷を思わせる。

山谷によって閉ざされた環境は乍洞村に美しい風景をもたらしている一方、交通の便が悪い原因でもあった。2016年、乍洞村の14の集落のうち、舗装道路が通っているのは1つしかなく、7つの集落は砂利道で、残りの6つの集落は人が通るのがやっとの曲がりくねった山道だった。そのうえ村民たちの住まいは村のあちこちに分散しており、山ばかりで土地は少なく、世代を越えて続いてきた貧困から村民たちが抜け出すのは簡単でなかった。

道路が通っていなかった頃の不便さについて聞くと、覃さんは「以前は市内に蚕の繭を売りに行く時、荷物を背負って8時間歩かなければいけませんでした。一度に担げるのは多くても80斤(1斤は500グラム)で、400元しか稼げません。村から一番近い小学校に子供を通わせるのでも、金曜日に家に連れて帰って日曜日には学校に送るしかなく、子供は小さい頃から学校で寮生活を送っていました」と、当時の辛さを思い起こしながら語ってくれた。

移動すら困難な状態では、貧困から脱却し豊かになれるわけがない。道路の整備は村民たちの素朴な願いであり、最も切望する夢だった。

貧困脱却の難関攻略戦が始まって以降、あらゆる状況は一変した。

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