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日本のボランティア、私財を投じてまで中国の砂漠で植樹続けるのはなぜ?
  ·   2018-08-14  ·  ソース:
タグ: ボランティア;植樹;社会
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中国での植樹を通じて行う侵略の歴史の償い

日本砂漠緑化実践協会の石田敏光理事は、「日本は過去に中国に対して侵略戦争を起こしており、許されない戦争犯罪を犯した。遠山さんはずっとそれに心を痛め、晩年は中国での植樹を通して、侵略の歴史の償いをしたいと考えていた」と述べる。

石田理事は以前、遠山さんと共に中国に行って植樹をした経験があり、遠山さんは、忍耐強く、確実に行動する人だったというのがその印象だったといい、「遠山さんは、『砂漠緑化の理論を研究をしている人はたくさんいるが、実際に行動をしている人は非常に少ない。体力が続く限り、1本でも多くの木を植えたい』とよく話していた」という。

事実、遠山さんと中国の「縁」は1935年にまで遡ることができる。同年、中国に留学した遠山さんは、農耕文化や植物生態を研究し、36年に研究用にとクブチ砂漠の土地を購入した。しかし、日本がその後すぐに中国侵略戦争を起こしたため、遠山さんの計画はもろくも崩れてしまった。

石田理事によると、遠山さんは戦争を二度と起こしてはならず、日中友好を代々引き継いでいかなければならないと考えていた。鳥取大学で定年を迎えた遠山さんは、老後の生活全てを中国における砂漠緑化事業に捧げたという。

植樹をめぐっては、遠山さんには、樹を植える時の穴の深さや大きさ、苗と苗の距離、土のかたさなどの自分なりの科学的理論があり、ボランティアにそれを詳しく伝えて、その通りに行うよう指示していたという。他の人に細かな指示を出すだけでなく、遠山さんは自分にも厳しく、1日に10時間植樹に従事していたという。

さらに、植樹を支援するために、鳥取県の不動産を売却したり、日本のテレビ局や大学、社会団体などに中国での植樹の意義を説明して、資金集めに奔走したりしていたという。

そのような遠山さんの姿勢に感銘を受け、石田理事を含むたくさんのボランティアがその遺志を継ぎ、毎年中国に足を運んで植樹を行っている。そして、緑の木々が中日友好の証となっている。

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