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広島のもう一つの「顔」
  ·   2016-04-15  ·  ソース:人民網
タグ: 広島;原爆;社会
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4月11日午前、ケリー米国務長官や英国・フランス・ドイツなど各国の外相が、岸田文雄外相の案内で、広島の平和記念公園を訪れた。今から71年前に米国が広島に原爆を投下して以来、米国務長官が今回初めて広島の原爆関連施設を訪れた。新華社が報じた。

だが、厳粛な面持ちのケリー長官らが、平和記念公園の原爆死没者慰霊碑に献花したとき、広島が世界で最初に原子爆弾が投下された都市であること以外に、欧米諸国にはほとんど知られていないもう一つの顔があることを、彼らは知る由もなかった。広島の「もう一つの顔」とは、日本の近代化に伴う一連の侵略戦争の大本営であり、兵器工場や残虐きわまる中国侵略部隊の駐屯地という顔だ。

1894年、日本は甲午戦争(日清戦争)を起こした。同年9月、明治天皇は「みずから出征」し、作戦司令部の大本営を広島に移し、帝国議会も広島で召集された。広島市内には、今でも、辺境開拓・領土拡大という大義名分のもとに侵略戦争を始めた明治天皇の「武功」を記念するために造られた「広島大本営跡」などの石碑が残っている。

第2次世界大戦と中国侵略戦争の期間、広島は日本で最も主要な兵器工場・兵営駐屯地であった。このうち、悪名高い広島第5師団は、日清戦争と8カ国連合軍による中国侵略に続いて、「盧溝橋事件」勃発後再び中国侵略の主力部隊となり、中国で数々の罪を犯した。

日本による侵略戦争で最も重要な兵力・兵器弾薬供給源のひとつであった広島が第2次大戦末期に原爆投下の標的となったことは、単なる偶然ではない。第2次大戦の関連史料によると、長崎とは異なり、米国が広島を原爆投下作戦の第一目標に据えた背景には、日本が起こした侵略戦争における広島の役割と地位が密接に関係しているという事実があった。

だが、ケリー長官ら各国要人が訪れた広島は、原爆が投下された1945年8月6日以降の広島の歴史、つまり日本の「第2次世界大戦による惨状」が映し出された、日本の「被害」都市という面が大きくクローズアップされた都市の顔に過ぎない。

凄まじい核爆発による被害を受けた広島市民の戦争や平和に対する思いは、他の誰よりも強いことは間違いない。だが、残念なことに、安倍政権の誕生以来、広島はだんだんと、「日本の広告塔」としての役割が増し、戦争という歴史を心から反省するための存在ではなくなった。

昨年8月6日、「被爆70周年広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式」で挨拶に立った安倍晋三総理は、歴代首相が触れてきた「非核三原則」にあえて言及しなかった。このような子細な事実からも、安倍総理が広島への原爆投下について本当に深い思考をもっているのかどうか、広島市民を含む大戦の犠牲者に対して本当に同情や尊敬の気持ちを抱いているのかどうかという疑念が生じざるを得ない。

日本の伝統芸能の一つ「能」では、演者は演目のストーリーに応じて様々なお面をつける。喜びの表情のお面もあり、憂い・悲しみを浮かべたものもある。広島にはもう一つの顔があり、日本の当局にももう一つの顔がある。どのような「お面」をつけようと、その下にある「真実の顔」は隠しきれない。(編集KM)

「人民網日本語版」2016年4月14日

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