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【40代から始める日本人の中国生活の記録】敦煌と日本の縁
本誌記者・植野友和  ·   2022-08-25  ·  ソース:北京週報
タグ: 敦煌;日本;中日交流
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陽関博物館の館長である紀永元さんは、井上靖や日本の歴代首相を案内したときのエピソードをとても懐かしそうに語ってくれた。また、敦煌研究員接待部の元主任である馬競馳さんは、敦煌の壁画保護に功績を残した画家の平山郁夫との思い出を語りつつ、「これが平山先生の自宅に泊めてもらった時の写真です」と貴重な資料を見せてくれた。自分にとって今回の取材は敦煌文化に触れる旅であると同時に、両国の先人たちによる文化交流の足跡をたどるものでもあった。

もう一つ敦煌で驚いたのは、文化財保護や美術研究に携わる人だけでなく、一般の方でも普通に日本語を解する人が意外に多いことだ。その理由は単純明快で、90年代の敦煌で外国人観光客といえば日本人が大半を占め、仕事で使うために言葉を学ぶ人々が多かったことから、今でも話せる人が結構いるというのである。敦煌は甘粛省の西の果てにあり、すぐ隣は新疆ウイグル自治区で、いくら世界遺産があるとはいっても日本から気軽に行ける場所ではない。それでもシルクロードブームが起きた90年代、まだ交通インフラも観光施設も整っていない時代に、日本からの観光客がこの地に大挙して訪れたというのだ。

その後、ブームが落ち着いて日本人観光客は減っていき、現在は新型コロナウイルス感染症の影響で海外からの旅行者はほとんど見かけなくなった。それでも現地の人々は、30年前の思い出をまるで最近のことであるかのように自分に語ってくれる。学術や観光を通じての民間交流とはこれほど人々の心に響くものなのかと、驚きを禁じえなかった。これまで自分は両国の友好に携わる人々から「民間や草の根の交流が大事」といった話を何度も聞かされてきたが、実はあまりピンときていなかったというのが正直なところだ。だが、今なら分かる。たとえ両国の関係が複雑化したとしても、しっかりとした民間交流の積み重ねがあれば、話し合いの素地までは失われない。今回の敦煌取材では莫高窟の壁画や漢代の長城跡、砂漠に沈む夕日など多くの感動があったけれど、自分にとって一番大きな収穫は、文化を通じた民間交流の価値を理解できたことだと思っている。

さて、海外の観光客が気軽に敦煌を訪れることができない現在でも、現地は古代シルクロードの時代さながらに多くの人々で賑わいを見せている。中国では近年、国内旅行が大きなブームとなっており、旅行先として敦煌を選ぶ人は少なくない。多くの方のお目当てはやはり敦煌莫高窟などの世界遺産だが、それだけでなく美しい自然を満喫できるネイチャーツーリズムも人気を博している。敦煌は市内から少し離れると、一面砂漠の世界である。古代には遠くインドやペルシア、西欧などからも中華の地を目指して多くの旅商人がこの地を通り、同じ光景を目にしたのだと思うと、実に感慨深いものがある。また、砂漠の中のオアシス都市・敦煌にはご当地グルメも盛りだくさんだ。羊と平べったい麺をとろ火で煮込んだ「胡羊燜餅」、コシのある麺にロバ肉を乗せた「驢肉黄麺」などの粉もの料理はとりわけ絶品で、一度味わうとまた敦煌を訪れたいという気持ちになる。

歴史、文化、そして日本との深い縁……これほど見どころあふれる都市を、偶然とはいえ訪れることができたのは、自分にとって実に幸運なことであったと思う。同時に、この町の魅力をぜひ一人でも多くの同胞の方に感じていただきたいというのが率直な願いだ。自分の文章では心動かされなかったという方は、ぜひ井上靖の名著『敦煌』を読み直すか、ユーチューブで敦煌やシルクロードにまつわるドキュメンタリーを見るといい。自らの目を通じて見る敦煌は、きっとあなたに小説や映像作品で得られる以上の感動をもたらしてくれるに違いない。 

「北京週報日本語版」2022年8月25

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