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南中国海問題に関する真相は永遠に1つのみ
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· 2016-05-26 |
タグ: 南中国海;海洋法;政治 | 印刷 |
(5)ひそかにすり替えて騙す。中国と「歴史」を争うため、フィリピン側はベトナムの黄沙、長沙を中国の西沙、南沙とごっちゃにし、フィリピン近海の砂浜Panacotを中国の黄岩島(スカボロー礁)とごっちゃにする見解を入念に選択し、「ベトナムが最も早く西沙に対して行政管轄を施行し、最も早く西沙、南沙を版図に描き入れた」「黄岩島は18世紀前半にすでにフィリピンの地図に描き入れられた」と主張した。これに関する手段と過程に対して、韓振華、李金明、李孝聡等中国の学者はとっくに考証と反論を行なっている。
(6)「1つの中国」を分断。フィリピン側は法廷尋問の際に、なんと「1949年から中華人民共和国政府のみが中国を代表している。したがって、1949年以前の中華民国政府の行為は中国に帰すことができるが、1949年以降の台湾当局の活動は本質的にもう中国には帰さない」と主張した。フィリピン側は中比国交樹立声明における「1つの中国しかなく、台湾は中国の領土の不可分の一部であるという中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重する」との厳粛な約束に公然と背き、1949年の中華人民共和国成立後、中国の台湾側の行為も中国に属すことを否定し、実質的に「1つの中国、1つの台湾」を主張し、「中国は1988年になって初めて南沙で実際のプレゼンスを築いた」などの論点を打ち出した。台湾側は1950年から短期間南沙・太平島から撤退したが、1956年にフィリピン側が「クロマ」事件を引き起こして意図的に中国の南沙諸島の一部島・礁を侵略・占領したため、直ちに戻り、以降長年にわたり駐屯し、南沙海域で定期巡航、民事開発を行なっている。
(7)少数の研究を客観的事実とする。フィリピンは東南アジア諸国、欧米植民地国家が11世紀以前と植民地時代における南中国海の開発、管轄に果たした役割を論証する際に、有力な証拠を示すことができず、客観的事実を顧みず、少数の学者の見解を選択的に用い、こうした国々の役割を誇張することしかできなかった。だが、これによって南中国海を往来した各国の航海者による忠実な記録を帳消しにすることも、南中国海海底に沈む歴代中国の沈没船が残した痕跡をぬぐい去ることもできない。
フィリピン側がその嘘にどれほど華美な仮面をかぶせて、中国の政府と人々が南中国海の歴史に刻んだ深い痕跡を覆い隠して、世界の人々を騙そうとしても、中国が歴史的事実に基づき南中国海で有する主権と権益は抹消できず、真相は永遠に1つのみであり、正義は永遠に姿を消すことがない。(編集NA)
「人民網日本語版」2016年5月25日
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