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中国小説翻訳の「第一人者」飯塚容氏「小説は中国を理解するための窓口」
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· 2023-07-03 · ソース:人民網 |
タグ: 文学;翻訳;中日交流 | 印刷 |
長い歴史がある中日演劇文化交流
飯塚氏の研究テーマには、中日演劇交流史、特に中国近代の話劇(新劇)に関する交流史も含まれる。飯塚氏によると、明治時代(1868-1912年)後期から大正時代(1912-1926年)中期にかけて、大勢の中国人留学生が日本にやって来た。その中には日本の近代演劇の影響を受けた演劇好きな中国人留学生もいて、演劇公演をするようになり、こうして中国話劇が誕生した。それから1930年に入るまで、中国人留学生が続々来日して、東京で演劇活動をするようになった。原作の元々の水準が高いので、演劇として上演しても素晴らしい作品となり、中日文化交流の歴史に大きな足跡を残したという。
飯塚氏が中国の話劇を実際に初めて見たのは1980年代のことで、北京人民芸術劇院の来日公演だった。話劇の発展の歴史を振り返ると、中国と日本の間には長い文化交流の歴史があり、両国の文化交流の絆がしっかり結ばれていることを感じるという。
将来への期待 「青は藍より出でて藍よりも青し」
中国と日本は一衣帯水の隣国で、文化交流の歴史は非常に長い。飯塚氏は、「小説の中にはいろいろな歴史背景があり、中国のいろいろな地方の生活風景がある。中国人のものの見方や考え方も理解することができる。そういう中で、中国にはこういう面もあったのか、こういう歴史があったのかという、日本とは違う側面を発見することができる。逆に、中国の人たちも日本人と同じようなことを考え、同じように生活をしていることを発見することも大事だと思う。その両方が大事だということを常に言っている」と語る。そして、中国文学を研究し、中国の小説を翻訳することで、より多くの日本人に中国を理解してもらい、中日の悠久の文化交流の歴史を次の世代へ伝えていきたいという。
飯塚氏は贈る言葉として「青は藍より出でて藍よりも青し」という中国のことわざを挙げ、その理由として、「この言葉に『父の世代や父の教え子の世代を受け継ぎ、また乗り越えていきたい。それと同時に、次の世代、私より若い世代の研究者と翻訳者もそうであってほしい』という願いを込めた」と語った。(編集KS)
「人民網日本語版」2023年7月3日
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