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京劇の名優・梅葆玖氏と日本の深い繋がり
  ·   2016-04-29  ·  ソース:人民網
タグ: 梅葆玖;日本;中日交流
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著名な京劇芸術家で中国京劇の大家でもある梅蘭芳氏の実子・梅葆玖氏が北京時間4月25日、病没した。享年82歳。

梅葆玖氏は1934年3月29日、京劇の大家である梅蘭芳氏の末っ子として上海で誕生。10歳より京劇を学び始め、13歳で「玉堂春」、「四郎探母」などで正式に舞台に上がり、18歳からは父親との共演して、梅派の後継者として生涯を通じて京劇の伝承と発展に尽力してきた。父である梅蘭芳氏は「初めて日本に京劇を紹介した人物」と言われており、梅葆玖氏もまた日本とは深い縁がある。

伝統芸術を携え何度も訪日した父子

梅蘭芳氏は生涯で3度訪日している。なかでも1924年の2度目の訪日は1923年に日本で起きた関東大震災がきっかけとなっており、梅蘭芳氏は慈善公演のため訪日し、売上の全てを日本の被災地に寄付した。

1956年5月には周恩来総理が当時62歳の梅蘭芳氏を民間文化交流使節に任命し、3度目の訪日公演を行なった。その際には梅葆ユエ(ユエは王へんに月)氏と梅葆玖氏姉弟も父の訪日に同行した。梅蘭芳氏は53日間の訪日期間中にあわせて32公演を行い、日本に「京劇ブーム」を巻き起こして中日文化交流の道を切り開いた。

1961年に梅蘭芳氏が亡くなると、梅葆玖氏が梅蘭芳京劇団を率いて何度も訪日し、京劇芸術を広めた。1983年、梅葆玖氏と梅葆ユエ氏が率いる梅蘭芳京劇団が訪日した。これは同劇団にとって4度目の訪日であり、「文化大革命」後、初の訪日でもあった。こうして中日友好関係の発展を促すため、特別な役割を果たした。   坂東玉三郎氏との素晴らしいコラボ

中国の京劇と日本の歌舞伎はともにそれぞれの国を代表する伝統芸術であり、過去に何度も「共演」している。それがきっかけで、梅蘭芳氏は多くの日本の歌舞伎役者と深い友情を培ってきた。また父と同じように梅葆玖氏も日本の歌舞伎に対し大いに興味を抱いていた。1955年、歌舞伎役者らが中国を初めて訪問し、北京で公演した際、梅葆玖氏は有名な歌舞伎役者の市川猿之助氏と一緒に鑑賞した。梅葆玖氏はかつて、「京劇と歌舞伎はスタイルに差はあるものの、東洋の芸術としての心髄は通じるものがある」と語っている。

日本の歌舞伎界における国宝級の大家である坂東玉三郎氏は日本の「梅蘭芳」と称され、代表的な女形だ。坂東玉三郎氏は1987年、特別に北京を訪れ、梅葆玖氏に師事して「貴妃酔酒」の台歩や水袖などの京劇の表現方法を学んだ。2010年6月、上海国際芸術祭で「エキスポ中日の偉大な役者の共演」が上海蘭心大劇場で開催された。そのなかで坂東玉三郎氏と梅葆玖氏、能楽の大家・関根祥六氏が共演し、京劇と歌舞伎、能楽など異なる芸術スタイルで伝統演目の「楊貴妃」を演じ、中日文化交流史上においても大胆な試みを実現した。そして坂東玉三郎氏が演じる楊貴妃は梅派京劇の表現方法を大いに参考にしていた。

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