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日本経済はそれほど深刻か?GDPから見たもう一つの日本
  ·   2016-04-21  ·  ソース:人民網
タグ: 日本;経済;中日交流
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以前、ある米国の記者が各国都市の街角を歩く歩行者の速度を測定したことがあり、その結果日本人が一番速かった。ここから日本人は仕事のテンポが速く、勤勉で、大変だということが推測できる。一方で、東京の一角で私は静かで落ち着いた生活を目にした。大阪の同業者数名と話したところ、日本人の生活、特に若者の生活は我々が想像しているようなストレスに満ちたものではないという。   日本で長年仕事している中国人の若い記者は日本人の若者が結婚相手に持ち家があるかどうかをそれほど重視しない点がとてもうらやましいと話す。東京や大阪などの大都市では、市の中心地から離れた周辺都市を選び50~60平方メートルの不動産を借りた場合、家賃はおよそ月額5~6万円、月収の4分の1程度に相当する。もし不動産を購入する場合は、最長35年の住宅ローンで金利はたったの2%~3%、またはもっと低い。子供ができた場合も、学費はほとんどかからない。安定した職と、医療保険さえあれば、後顧の憂いはほとんどない。夫婦2人の月収が合わせて30万円以上ならばかなり安定していると感じることができるという。

1968年、日本のGDPは西ドイツを上回り1000億ドルに達し、その経済規模は米国に次ぐ世界第二の経済大国となった。しかしこの年の日本の一人当たりのGDPは世界第20位。1971年には日本の一人当たりGDPが2000ドルを超え、3年後にはさらに3000ドルにまで増えた。日本の一人当たりのGDPが1000ドルから2000ドル、さらには3000ドルまで増えるのに要した時間はそれぞれたった6年と3年だった。スピードの上で西側の発展諸国を大きく上回っただけでなく、その社会も基本的に安定を保った。日本が「中所得国の罠」を回避することに成功したのは奇跡としか言いようがない。しかしこの奇跡は、日本経済の発展スピードが速く、日本人が勤勉で、日本企業の効率が優れていたからだけではない。さらに重要なのは、比較的公平な分配制度を確立していた点だ。

日本は1970年代に高度経済成長期に突入し、80年代にバブルが崩壊するまでの間に、さらに深刻で長期間にわたる景気後退に十分対応できるような福祉制度の構築を基本的に終えている。ここ数年、西洋諸国で生じている規模の大きい経済危機は日本も回避しきれず、時にはその他の国よりもさらに長い期間その危機の影響を受けるに至っている。しかし日本が再起不能に陥ることがないのは、その分配制度の「基礎建築」が優れているためだ。

日本の経済停滞を示す驚くべきデータから、我々は日本人が艱難辛苦にまみれた生活を送っているように思いがちだ。しかしこの国に悪感情を持っているからと言って、悪い面ばかりを読者に見せてはならない。またこの国が中国に対し面倒を起こしているからと言って、落ちぶれていくとは限らないのだ。40年以上もの間、ゴミの分類を続け、優れた交通システムを構築し、街中にはクレーン車が林立せず、20年もの間ほとんどの人々の収入が安定し、平凡ながら比較的整った社会保障を受けることができるそんな国の経済を、我々はどのように定義づければいいだろうか。

これは中国の遥か彼方にある国を評価しているのではなく、中国と一衣帯水にある経済大国への正確な評価だ。この国は「中国の夢」を実現していく上で回避することのできない重要な外部エネルギーとなるだろう。(編集TG)

「人民網日本語版」2016年4月21日

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