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右肩下がりの関西経済から学べる教訓(上)
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· 2018-04-26 · ソース:人民網 |
タグ: 日本;関西経済;経済 | 印刷 |
しかし、その後の情報革命がもたらした情報産業や知識経済を中心とする新たな産業構造の調整において、関西は足をふらつかせてしまい、方向性を見失った。
関西は一時、液晶パネル産業の大々的な投資が地方経済を救ってくれると期待した。関西経済連合会産業部の関係者によると、大阪湾沿岸地区には一時、液晶パネル工場が立ち並び、業界内では「パネル湾」と呼ばれるほどになった。しかし、その後、世界の液晶パネル市場の競争が日に日に熾烈になり、日本企業は競争における優位性を失い、大阪湾の発展も挫折した。
近年、関西のサービス産業や情報産業がそれほど発展していないことが、関西経済が下り坂となっている主な原因だ。情報時代において、東京圏が日本の情報センターとなり、そのサービス業と情報産業の急速な発展は、日本全国の地域の関連産業に大きなサイフォン作用をもたらし、関西の多くの企業も本社を情報源に近い場所へ移すことを好むようになった。
金氏は、「70年代以降、日本経済は港経済から空港経済へと発展し、産業は『重』から『軽』へと変化した。その過程で、関西は出遅れてしまった。その他、以前、大阪などの関西の重要な都市には、日本のあらゆる地域から人や物が集まる中継地点となっていたが、空港や新幹線、高速道路などが発展するようになると、大阪で中継する必要はなくなり、人や物は直接東京へ行くようになった。そのため、関西の交通ターミナルとしての役割は減り、地方経済が大きな打撃を受けた。関西の自治体も長期的な視野が欠け、工業生産が大幅に下降し、以前と比べるとターミナルとしての立場が小さくなっているにもかかわらず、産業構造調整や高度化、モデルチェンジの基礎的、サービス性業務を適時行ってこなかった。それが原因で、地方経済の発展にとって足かせとなってしまった」と指摘する。 (編集KN)
「人民網日本語版」2018年4月26日
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