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谷村新司さん、10年ぶりに北京でコンサート
  ·   2018-09-30
タグ: 中日平和友好条約;音楽;文化
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日本の人気歌手・谷村新司 (撮影:蔡軍)。

中日平和友好条約締結40周年である今年、中日両国の友好文化交流に長年尽力している人気歌手の谷村新司さんがコンサートツアー「38年目の昴」の北京・上海公演を行う。9月28日にはまず北京で公演が行われた。谷村さんが北京でコンサートを行うのは実に10年ぶりで、夜空で鮮やかに輝く「昴」のようにファンを魅了した。国際在線が報じた。

1980年代から、谷村さんの名前は、譚咏麟(アラン・タム)や鄧麗君(テレサテン)、張学友(ジャッキー・チュン)、張国栄(レスリー・チャン)など、中国語圏の芸能界を代表する人気歌手と深いつながりを持つようになった。当時、中国語圏ではポップミュージックが急速に発展し、日本で流行している多くの歌曲がカバーされた。「花」や「浪漫鉄道」、「昴」などの曲名は知らなくても、そのメロディーを聞くと、懐かしいと感じる中国人は少なくないはずだ。作詞作曲を自ら手掛ける谷村さんの曲を、中国の多くの歌手がカバーし、多くの中国人がそれを聞いて成長したことに、谷村さんも感動を覚えるとしている。

音楽、特にポップミュージックの発展も、ほかの産業同様、発芽し、発展し、成熟するという過程を経てきた。80年代後期、西洋のエレクトロニックミュージックの影響を受け、日本のポップミュージックに大きな変化が生じた。多くの人がロックミュージックに熱狂していたその時代、谷村さんは堀内孝雄さんらとフォークグループのアリスを結成し、民謡やソフトロックの曲風で、日本のポップミュージック界にさわやかな力を注入し、多くの若者の間で人気を博した。若かった時代、谷村さんは、前に向かって走り続ける時代の代弁者だった。そして、ロックの道を歩んだ後、アジアミュージックや人文・伝統に回帰することを選び、今に至っている。取材に対して、谷村さんは、「昔のロック少年の時も、音楽を探求する今も、それらの経験が僕の音楽の一部になっている。そのような経験があったからこそ、今の僕がいる」と語った。

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