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編集者の言葉
日本軍記者の手による『支那事変画報』、吉林省公文書館が公表した日本軍関連文書、中央公文書館が公表した日本人戦犯45人の自筆供述書、山西省左権県抗日写真集――これらの内容はすべて日本軍の対中国侵略の最も偽りのない記録であり、日本の対中国侵略犯罪に対する反駁の余地のない動かぬ証拠である。中国は日本の侵略の歴史を示す資料を数多く公表し、動かぬ証拠で史実を甦らせ、歴史の悲劇の再演を防ぎ、平和な時代に歴史の警鐘を鳴らしている。
『支那事変画報』――日本軍が自ら記録した対中国侵略犯罪の証拠
山西省左権県の王艾甫氏は、日本の朝日新聞社が1937~1942年の間に発行した『支那事変画報』100冊余りとその増刊を収集した。これらの雑誌に掲載された大量の写真は、日本軍の全面的対中国侵略と戦略的対峙段階の戦況をほぼ全面的に反映している。日本軍記者の手による真実の写真は、日本軍の対中国侵略の最も偽りのない記録であり、日本の対中国侵略犯罪に対する反駁の余地のない動かぬ証拠なのである!
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  • 1937年7月、宛平県城を砲撃する日本軍――『北支事変画報』臨時増刊第一輯26-27頁
  • 1937年7月、日本軍による廊坊爆撃――『北支事変画報』臨時増刊第二輯6-7頁
  • 1937年7月、日本軍による天津市政府爆撃――『北支事変画報』臨時増刊第二輯18-19頁
  •  1937年9月、満城爆撃――『支那事変画報』第七輯23-24頁
  •  1937年11月、太原城に入る日本軍――『支那事変画報』臨時増刊第九輯24-25頁
  •  激戦後に廃墟と化した上海――閘北三義里小学校、上海鉄道管理局、宝山路(大通り)一帯、商務印書館等(1939年10月20日『支那事変画報』上海戦回顧の際の掲載写真)――『支那事変画報』第二十一輯26-27頁
  •  1937年12月、日本軍による南京、宝山等の爆撃――『支那事変画報』第六輯22-23 頁
  •  1939年10月、日本軍は陝西省の西安、延安等を爆撃した――『支那事変画報』第七十輯6-7頁
日本軍犯罪行為の動かぬ証拠
吉林省公文書館(檔案館)。ここには、日本軍が中国を侵略した際に残した文書が保存されている。これらの「貴重」な文書が7月7日の日本軍中国侵略記念日を前に公開され、安倍政権の日本侵略戦争美化がいかに恥ずべきことかが再び明らかにされた。
中央公文書館、日本人戦犯45人の自筆供述書を公表
盧溝橋事件77周年を迎えるにあたって、中央公文書館は収蔵資料から、最高人民法院(最高裁)の審判を受けた45人の日本人戦犯が自ら書いた供述書を選び、原文と補充、修正、追加を含め、さらに当時の中国語訳、英文要約を付け、国家公文書局のウェブサイトで一般公開することとした。
鈴木啓久
藤田茂
上坂勝
佐々眞之助
長島勤
船木健次郎
鵜野晋太郎
榊原秀夫
富永順太郎
城野宏
相樂圭二
菊池修一
永富博之
住岡義一
大野泰治
笠実
神野久吉
武部六藏
古海忠之
齊藤美夫
中井久二
三宅秀也
横山光彦
杉原一策
佐古龍祐
原弘志
岐部与平
今吉均
宇津木孟雄
田井久二郎
木村光明
島村三郎
鹿毛繁太
築谷章造
吉房虎雄
柏葉勇一
藤原広之進
上坪鉄一
蜂須賀重雄
堀口正雄
野崎茂作
溝口嘉夫
志村行雄
小林喜一
西永彰治
左権県に残る抗日の記憶