山西省左権県の王艾甫氏は、日本の朝日新聞社が1937~1942年の間に発行した『支那事変画報』100冊余りとその増刊を収集した。これらの雑誌に掲載された大量の写真は、日本軍の全面的対中国侵略と戦略的対峙段階の戦況をほぼ全面的に反映している。
1937年に盧溝橋事件が発生すると、朝日新聞社は『アサヒグラフ』臨時増刊として『北支事変画報』の発行を開始し、対中国戦況を重点的に報道し、日本軍の戦績を宣伝した。同誌の名称は第一、二、三輯は『北支事変画報』であったが、臨時増刊第三輯は『日支事変画報』に変わり、第四輯(臨時増刊含む)からは『支那事変画報』と改められた。同誌は不定期発行で、たいてい半月に一冊発行されていた。1941年12月、太平洋戦争勃発後、第一〇二輯から『極東事変画報』に改名され、日本軍の東南アジアと太平洋地域における戦況を広く報道するようになり、中国戦線の報道は少なくなっていった。1944 年、日本は各大戦線でずるずると敗け、戦績宣伝のために出版されていた画報と臨時増刊は休刊した。
画報は日本の随軍記者が撮影した写真を主要内容とし、日本の軍事進攻と歩調を合わせ、戦果を宣伝し、日本軍の士気を鼓舞することを主要目的としていた。日本の当時の撮影技術と組版印制技術は一流だったと言え、写真が鮮明であるだけでなく、どの写真にも説明と簡単な背景資料がついており、刊末には対中国侵略日記まで掲載されていた。写真説明に繰り返し出現する「血に染まる」、「弾雨」、「砲撃」、「銃剣」、「包囲討伐」、「掃討」といった血なまぐさい言葉は、日本が自ら宣伝した「助ける」や「共存共栄」といった嘘の真相を効果的に暴き出している。
日本軍記者の手による真実の写真は、日本軍の対中国侵略の最も偽りのない記録であり、日本の対中国侵略犯罪に対する反駁の余地のない動かぬ証拠なのである!
『北京週報日本語版』2014年10月22日 |