左権県はかつて遼県と呼ばれていたが、1942年5月25日、ここで犠牲となった国民革命軍第八路軍副参謀総長の左権将軍を記念するために、左権県と改名した。抗日戦争期、この地には八路軍本部、中国共産党中央北方局、八路軍129師司令部など党・政府・軍関連機関が5年間置かれていた。左権県は共産党と八路軍が華北敵後抗戦を堅持した政治、経済、軍事、文化の中心地であった。