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【40代から始める日本人の中国生活の記録】「寝そべらない」中国の人々
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· 2022-10-27 · ソース:北京週報 |
タグ: 若者;ライフスタイル;中日交流 | 印刷 |
日本には中国に対してさまざまな思いを持つ人々がいる。好意的な人、特に思い入れのない人、嫌う人などスタンスは異なれど、いずれの層にも共通しているのは中国に対して何かしらの関心を抱いているということだ。やはり需要があるせいか、中国関係のニュースが日本で報じられない日は基本、ないと言っていい。その中には冷静な分析や議論もあるが、どうしても目立つのは強い見出しで人々を煽り、誇張や誤解などを含む報道だ。いわゆる「飛ばし記事」というものだが、それらは日本人の中国理解にかなりの悪影響を及ぼしている。
また、中国で起きている事象を紹介する際、針小棒大に報じる姿勢もしばしば見られる。実際にはごく限られた範囲の中での出来事であるにも関わらず、それが中国全体で広く見られるものであるかのように伝えてしまう。その代表的な事例の一つとして、「躺平」という言葉がある。日本語に訳すと「寝そべり」、つまり中国の若者の中には頑張るよりもぐうたら過ごすことを選ぶ人々が増えているというのだが、筆者は中国に暮らす身として、この言葉に違和感を覚える。「いや、中国の人々って寝そべるどころか、じっとしていられないほどアクティブなのだが」と思ってしまうのである。
あたかも中国の若者の一部、もしくは大部分が「躺平」を志向しているような日本における一部の論調には、数々の問題があると考える。その理由として、まず第一に挙げられるのは中国の人々の気質を理解していない点だ。中国が豊かになり、中には仕事をしなくても暮らせていける人だっているのは事実。実家が裕福で若くしてマンションを持っている人は自分の周囲にもそこそこいるが、だからといってもう働く必要はないなどとして仕事を辞める若者はまれである。中国の人々の多くは、そういう生き方では満たされないのだ。
自分がこちらに来て驚いたことに、とにかく共働きの夫婦が多いということがある。特に専業主婦の女性が日本に比べ、格段に少ない。むろん、経済的な理由もあるし、夫も子育てを手伝うのが当たり前という文化が根付いていることもあるが、それ以上にいろいろな人から話を聞いて感じたのは、家に閉じこもって旦那の稼ぎに頼る生き方では、自分の価値を発揮できないと考える女性が多いことだった。同様の考えで、たとえ親からの援助で暮らせていける人であっても、何かしら勤め仕事なり自分の商売なりをやろうとする。むろんそういう人ばかりでなく、いわゆるニート生活にどっぷりハマる人だっているだろうが、自分がこれまで見てきた範囲で言えば多くない。
もう一点、「躺平」が社会現象ではなくあくまで特殊な事例に過ぎないと思うのは、これがあくまで一部の人々によってネットに吐露された淡い願望に過ぎず、実行している人は少ないと考えるからだ。中国は経済発展を遂げ、世界最大の中間所得層を擁する国となったが、だからと言って誰も彼もが寝そべって暮らせるほど余裕があるかといえば、そうではない。社会の大部分を占める普通の家庭で「躺平」をやるとなれば、当然自宅暮らしで引きこもりニートとなるわけだが、それを許すほど中国の親は甘くない。最近は人々の考え方にも変化があるとはいえ、こちらではまだまだ社会に出て、結婚して子どもを持ち、やがては老いた親を養うという伝統的観念が強い。それを真っ向から否定する生き方をわざわざ自ら選択するのは限定的なケースだろう。
さらに付け加えるとしたら、中国で寝そべりブームなどという報道には、自国との比較という視点が欠けていると感じる。仕事や学業のプレッシャーで時には休みたい、家でゴロゴロして暮らしたいと考えるのは、言ってしまえば人間としてごく普通のことである。だが、心の中にふとそうした思いが浮かんだとしても、実際には社会で生きていく以上、ほとんどの人々は生活のため、家族のため、はたまた自分の願いを叶えるために頑張るものである。むろん、中にはそれを実践してしまう人もいるわけだが、その比率は明らかに日本の方が大きいのではあるまいか。わざわざ出世して余計な責任を抱え込みたくない、仕事は適当に済ませて自分の時間をより大事にしたい、結婚なんかしないで生涯気楽に暮らしたいーーこういう考えを持つ日本の若者は少なくないどころか、かなり前から相当数見られる。筆者の知り合いの中には「働くことは罪である」などと開き直って生涯ニートを貫き通そうとする人もいたが、それは例外中の例外にしても、寝そべり志向という点では日本の方がはるかに深刻であると思わざるを得ないのだ。
総じて言うと、今の中国を表すキーワードは「躺平」ではなく「奮闘」である。困難にめげることなく、目標に向かって突き進む。そのエネルギーの源泉は、より良い暮らしを享受し、充実した人生を送りたいという切なる思いであり、より強く、より豊かで、より世界に誇れる国を皆でつくり上げようとする願いに他ならない。
最後に筆者の私見を述べれば、「躺平」などという生き方は実につまらないものである。何しろ東南アジアの某所で1年ほど経験したことがあるので自信を持って言えるのだが、最初は気楽だと思っても数カ月もすれば完全に飽きる。やることがなさすぎてむしろ情緒不安定になり、悩みがないことが悩みになるのである。たとえ大変でも自身の努力によって何かを成し遂げてこそ、日々は充実したものとなる。人生の喜びは奮闘の中にあることを、われわれは心に刻まなければならない。
「北京週報日本語版」2022年10月27日
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