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「ビンドゥンドゥン」と出会って
文=日本テレビアナウンサー 辻岡義堂  ·   2022-08-29  ·  ソース:人民中国
タグ: 冬季五輪;メディア;中日交流
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ギドゥンドゥン。これが今年の6月で36歳、年男の私の新たな名前です。 

北京冬季五輪は、私にとってまさに夢のような時間。いやもはや夢だった方が、説明がついたのかもしれません。大会マスコット「ビンドゥンドゥン」のかわいらしさに魅せられ、日々のテレビ中継で熱意を持ってお伝えしたところ、中国の皆様の目に留まり、「ギドゥンドゥン」として、一つのブームを巻き起こしておりました。

とは言っても、その始まりなど、当の本人は気付かぬもの。張家口エリアの取材中、「写真を撮ってください!」とボランティアの方々からなぜか声を掛けられた不思議な1日がありました。その張家口から北京に戻った際、中国人コーディネーターの方が私のもとに走ってきて、スマホ画面を見せてくれました。「義堂さん! 中国でとてつもない人気者になってますよ!!」

日本の総人口を優に超える5億4000万回再生の反響はすさまじく、取材がなりわいのアナウンサーの私に取材オファーが殺到。新聞社、国営放送、大使館、大会組織委員会と話が「ドゥンドゥン」大きくなり、せんえつながら各会場で出待ち、プレゼント、ファンレターなどなど、毎日300人以上の方々と写真を撮らせていただいたのではないかと思います。経済効果450億円という数字に関しては、いまだに私の脳では処理しきれません。 

振り返れば、北京冬季五輪の取材は、波乱の幕開けでした。寒さをしのぐダウンジャケットを、北京到着の際に機内に置き忘れ、すぐピックアップできるだろうと高をくくっていましたが、感染対策のため、私のダウンジャケットは日本の空港に逆戻り。その絶望的な気持ちをパッと明るくしてくれたのが、北京の空港にいたビンドゥンドゥンでした。 

いつかビンドゥンドゥンに恩返しがしたい。そんな思いで迎えた、日本に向けた初めての中継。中継の尺を少々オーバーしておりましたが、最後に思い切ってビンドゥンドゥンの魅力を熱弁。これが全ての始まりでした。「情熱は国境を超える」。中国で私はこの言葉を肌で感じることができました。 

「日本人って、もっとシャイなのかと思っていました」「日本人って、もっとおとなしいのかと思っていました」「日本人って、もっと暗いのかと思っていました」。どれもボランティアの方々から直接言われた言葉です。それと同時に、毎回このような言葉も掛けてもらいました。「ギドゥンドゥンがそのイメージを変えてくれました!」 

中国での26日間。私も多くの中国の方と触れ合いました。年齢、性別、性格、身長、表情、髪形、声色などなど、もちろん違いはありましたが、皆さん共通して、北京冬季五輪を成功させようという意欲に満ちあふれていました。この感覚は日本人も同じです。いろいろな日本人がいます。それぞれに個性があります。しかし、さまざまな共通項でつながっています。小さな共通項を探し続ければ、中国人や日本人というカテゴリーですらあいまいなものになるのかもしれません。 

朝から晩まで取材し、その間に取材されながらの21日間連続中継。ほぼ毎日の睡眠時間は3時間ほどだったと記憶しております。そんな私を突き動かしたのは、紛れもなく中国の皆様の思いやりです。メディアセンターを徹底的にきれいにしてくださった清掃の皆様。真摯に対応してくださったメディア、ボランティア、警備の皆様。私の体調まで心配してくださったカーリング会場の皆様。祖父がつけてくれた「義堂」という名前に感謝しつつ、改めて北京冬季五輪に関わった全ての皆様に「謝謝」と申し上げます。 

人民中国インターネット版 2022年8月29日

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