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【40代から始める日本人の中国生活の記録】敦煌と日本の縁
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本誌記者・植野友和 · 2022-08-25 · ソース:北京週報 |
タグ: 敦煌;日本;中日交流 | 印刷 |
中国の北西部に位置する甘粛省敦煌市。古代より東西交易の要衝として栄えてきたこの地は、世界遺産・敦煌莫高窟に代表される仏教美術をはじめとして、往時の繁栄を今に伝える遺跡の数々、さらには美しい自然など人々の心を捉える多くの魅力に満ちている。
紀元前121年、前漢の武帝の時代に敦煌は漢の版図に組み込まれ、西域経営と交易の拠点として繁栄が始まった。ユーラシア大陸を横断する交易路のシルクロードを通じ、絹をはじめとするさまざまな交易品や文物がこの地を行き交う中、多様性に満ちた文化が育まれてきた。
敦煌と聞いてわれわれ日本人がまず思い浮かぶのは井上靖の小説とそれを原作とする1988年の中国・日本合作映画『敦煌』、加えてシルクロードをテーマとする多くのドキュメンタリー番組だろう。また、日本と敦煌の縁においては、敦煌やシルクロードに関する作品を数多く残しただけでなく、敦煌莫高窟の保存にも生涯関わり続け、「敦煌を最も愛する日本人」と称された画家・平山郁夫の存在も大きい。かくいう筆者も学生時代、井上靖の西域小説をむさぼり読み、この地に思いを馳せた経験を持っている。果たして敦煌とはいかなる土地で、どれほどの価値を持つ歴史遺産が残されているのかーーそんな思いは歳を重ねるにつれ、やがて薄れていったのだが、この夏自分は全く予期せぬことに出張で現地を訪れる機会を得た。控え目に言っても夢のような仕事であり、期待に胸を弾ませ、喜び勇んで現地入りしたのだった。
まず敦煌に着いて感じたのは、日本との深い縁である。今回の取材テーマは敦煌文化の紹介であったため、現地で暮らす文化人と交流を持ったのだが、その多くが文化財の保護や研究などで日本と何かしらの交流経験を持つ人々で、日本人である自分の訪問を大変喜んでくれた。それはまるで古い友人と再会したかのような、自然体かつ真心のこもった歓迎である。もちろん言うまでもなく、自分にとっては会う人全てが初対面。でも、なぜか他人と思えないような不思議な気持ちになった。
例えば、無形文化遺産・敦煌彩色塑像の伝承者であり、長年仏像の修復に携わっている杜永衛氏に会った際、こちらが中国語で話しかけると、「おや、日本の方ですか」と流暢な日本語が返ってきた。ご本人は「もう日本を離れて20年以上経つので自信がありません」と謙遜するものの、言葉は全くさびついていない。話を聞いているうちに、杜さんはかつて東京芸術大学に留学して東洋美術史を学んでいたと知り、なるほどと思ったわけだが、驚きなのはこういう人に行く先々で続々と出会うことだ。
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