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北京で感じる二十四節気の美
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本誌記者・植野友和 · 2022-03-25 · ソース:北京週報 |
タグ: 二十四節気;文化;中日交流 | 印刷 |
色とりどりの春の花が咲き乱れる湖北省武漢市の東湖(写真=新華社提供)
日本で暮らしている頃、暦をめくるたびに不思議に思うことがあった。それは、「二十四節気とは、一体何のためにあるのか」という疑問だ。1年のカレンダーに目を通すと、立春、雨水、啓蟄、春分……と、季節を表す言葉として用いられており、「冬至にはゆず湯に入り、かぼちゃを食べる」といったような二十四節気にちなんだ風習も少なくない。しかし、本来の意味が季節感を表すものだとしたら、なぜこれほど肌身で感じる気候とかけ離れているのだろうと、不思議に思っていたのである。
そのモヤモヤはずっと晴れることがなかったが、解決しなくてもとりあえず生きていく分には困らない。そんなわけで、日本にいる間はあまり深く考えることがなかった。ところが北京に移り住んでからというものの、この二十四節気の存在意義、さらには趣きまでもが分かるようになった。なぜかと言えば、北京では二十四節気とはまさしく新たな季節の訪れを人々に伝えるものであり、それぞれの言葉に示されているごとく、気候の変化が感じられるからだ。
たとえば日本では、毎年おおよそ5月5日頃に立夏を迎えるが、実際の気候はようやく春本番といったところで、「一体どこが夏なのか」とツッコミたくなる。ところが北京では、確かにさわやかな夏の気配を感じ始める時節なのである。同じく日本で暦の上では立秋(8月8日頃)となっても、1年で一番暑い盛りに「もう秋ですね」と言われているようで、むしろ頭にくるほどだ。それが北京だと、ちょうどその日くらいから熱帯夜が終わり、夜には涼風すら感じられる。そんな時にしみじみ思うのは、二十四節気とは大陸性モンスーン気候の中で生まれた文化であるのだなということだ。また、暦の通りに季節が移り変わっていくのも、実にすっきりしていて心地よい。たとえが合っているかどうか分からないものの、天気予報がズバリ当たった時の気持ちよさに近いと言えば伝わるだろうか。
調べてみると、春秋時代に当時の人々は仲春、仲夏、仲秋、仲冬という四つの節気を定めていた。さらに秦代以前、人々は暑さと寒さ、四季を示す主な節気である夏至、冬至、春分、秋分を知った。そうして人々のたゆまぬ発見と研究により、秦代から漢代にかけて二十四節季は完全に確立し、6世紀前後に日本に伝えられたことが分かった。日本でも二十四節気が全く意識されていないかといえばそうではなく、祝日となっている春分にはぼた餅を食べ、秋分にはお墓参りをするなど、それぞれ季節にちなんださまざまな伝統行事が行われる。いずれにせよ、古代に生まれた二十四節気が両国で時空を超えて受け継がれ、今日でもなお人々の暮らしに息づいているのは驚くべきことと言えるだろう。
北京冬季オリンピックの開会式では、二十四節気をテーマとするオープニングセレモニーが行われ、その美しさに世界の人々は息をのんだ。中華文化が育んできたこの素晴らしい「遺産」の魅力により多くの方が気付き、慈しむことを願ってやまない。
「北京週報日本語版」2022年3月25日
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