中文 | English | Français | Deutsch
 
 
ホーム 政治 経済 社会 中日交流 文化 文献 特集
ホーム >> 中日交流 >> 本文
  • descriptiondescription
素顔の中国を見つめ続けて中日友好をライフワークに
星屋秀幸さんが語る文明交流の重要性
本誌記者 植野友和  ·   2019-05-20  ·  ソース:北京週報
タグ: アジア文明対話大会;中日友好;中日交流
印刷

40年に渡る星屋さんと中国の深い縁

そもそも星屋さんと中国の縁は、40年前に遡る。 

「もともと学生時代に中国がとても好きで、歴史や文化に興味を持っていました。そして、大学で就職のことを考えるにあたって、中国あるいはアジアの人たちと触れ合う仕事がしたいと強く思うようになり、中国の人たちとお付き合いする仕事を探すうちに商社ならばチャンスがあるということで、三井物産に入社しました。 

ですが、入社後そう簡単には中国に行けず、国内の鉄鋼営業に配属されましたが、入社して4年目くらいの時に、新日鉄の君津製鉄所に鄧小平さん一行が来られたということを知りました。新日鉄が総力を挙げて中国の鉄鋼業の近代化に協力をするという決断を聞いて、これはすごいと思いました。その直後に、三井物産の初の試みとして北京へ交換留学生を派遣することになり、その試験を受けて1979年に念願の北京留学を果たしました。 

北京では日本との生活レベルの格差や社会制度の違いに驚きましたが、住めば都ですぐに慣れて、いろいろな人と交流し中国の素顔に触れました。また、留学中には中国のさまざまな地域へ旅行行き、見聞を深めることができました。戦前の不幸な歴史がありますから、日本人が中国の人々の輪に入っていくのは難しいのではと思っていましたが、そのことについて不愉快な思いをしたことは全くなく、日本人である私がどこへ行っても現地の人たちは非常に親しく接してくれたんですね。 

また、留学後に天津に駐在することになりました。1980年前半のちょうどその頃は、中国の東北地方で残留孤児が見つかって日本に受け入れられていた時期でした。かつて敵国であった日本人の子供を中国人と同じように大人まで育てた上で日本に帰国させる、それがひとりやふたりでなく大勢いたわけです。果たして日本人が逆の立場だったら同じことができただろうかと思いました。そういったさまざまな経験から、中国の人々の心の広さを知ったのです」 

前のページへ1234次のページへ
シェア:
リンク  

このウェブサイトの著作権は北京週報社にあります。掲載された記事、写真の無断転載を禁じます。


住所 中国北京市百万荘大街24号 北京週報日本語部 電 話 (8610) 68996230
  京ICP备08005356号 京公网安备110102005860号

中国語辞書: