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日本人俳優・矢野浩二が自伝出版 中国を漂泊した日々を語る
  ·   2015-12-28  ·  ソース:人民網
タグ: 矢野浩二;自伝;中日交流
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中国で最も知名度が高い日本人俳優の矢野浩二は、善良な日本人留学生から残虐な日本人軍人、頭の切れる日本人ビジネスマン、正義の日本人スパイなどを演じただけでなく、過去に何度か世論の重圧にさらされている。

そんな彼が中国語で執筆した初の自伝「有夢不怕路遠(夢さえあれば遥かな道のりも怖くない)」が出版された。自伝では、彼はかつて居酒屋のバーテンダーで、夢を求めて東京に行き、芸能人の付き人からエキストラ俳優となり、さらには中国語が一言も話せない北漂(北京に出てきて奮闘する地方出身者)に、そしてスターになり、バラエティ番組「天天向上(Day Day Up)」の司会者となるまでの波乱に満ちた経歴が紹介されている。また中国と日本の民族的な性格に対する彼なりの分析や教育理念への見解、中日文化に対する思いなどが語られている。

この本の編集担当者は「浩二の文章にはほとんど修飾的な編集を加えていないため、読者にとって巧みな、美しい文章とは感じられないかもしれないし、表現方法も一部硬かったり、スムーズでないかもしれない。ただこれが彼の真の姿であり、中国を15年間漂泊した日本人俳優の心の底から発せられたリアルな情感なのだ」とした。

「有夢不怕路遠」のなかで、矢野は「人生には準備された乗り越えなければならない多くの舞台がある。そして僕は森田さんの付き人から始まり、中国で仕事の無い日々に耐え、自分の心をすり減らしながら鬼子(日本兵に対する蔑称)を演じ続けた。その後はバラエティ番組の中でうまく自分を表現できずに落ち込み、失言から困難に陥った。一つの舞台を越えてもすぐに別の困難が僕の前に立ちふさがった。そのたびに苦悩し、涙を流しながら、それでも色々考えて前に進み続けた。そうして今日の僕がある。このように舞台を乗り越えて前に進み続けることこそ人生である。完璧な演技というものが無いように、人生もこうやって続いていくのだ」と記している。

中日文化交流の「パイプ役」に

20歳で人生初めての大きな選択をしてから、現在の誰もが知るスターになるまでの20年間の夢を求める旅路で、矢野浩二はそのうちの15年間を中国で暮らしている。そして彼は中国というこの土地を深く愛し、「俳優になりたい」という夢もまた中日文化交流の「パイプ役」になりたいという気持ちに高まった。

現在、40歳を過ぎた矢野は中国に定住することを決め、美しく貞淑な中国人妻と結婚し、可愛い娘も生まれている。しかし彼は娘に日本国籍を取得させず、母親の中国国籍を取得している。

中日民間交流の「大使」となった矢野は現在大学などで自身の20年余りの夢を追いかけた旅路について講演し、また積極的にチャリティーや中日文化交流活動に参加している。2011年、矢野は「環球時報」が発表する「2010 Awards of the year最優秀外国人俳優賞」を日本人として初めて受賞した。2015年9月には中日友好関係への貢献から日本の外務大臣表彰も受賞している。

日本人として初めてこれらの栄誉を受けた芸能人として、矢野は「中日友好は自分一人の願望ではなく、自分が知らない分野でも非常に多くの人々が期待し、そのために努力していると感じた。長い間、俳優として演じ、中日文化交流の活動に参加し、テレビドラマやその他番組で中日両国民の相互理解を深めようと自分のできる範囲内でずっと頑張ってきた。これは私にとって負担ではなく、むしろ進んで背負っていくべき責任だ」と語った。

さらに「日本で生まれ育った日本人が中国にやってきて、自分の土台と夢を築き上げたことは、多くの人にとって少なからず驚くべきことなのかも知れない。しかし過去を振り返っても自分の心には一片の後悔もなく、ただひたすら感激と満足に満ちている。中国というこの広く肥沃な土地が、私に仕事と、愛情と、家庭を与え、私により多くの責任を果たさせ、自分の使命をはっきりさせてくれた」と語った。(編集TG)

「人民網日本語版」2015年12月28日

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