小林寛澄さんはかつてこう語っている。「八路軍の捕虜になったあの日から、それまでの自分はいなくなり、中国人がくれた『日本八路』という新しい自分になった。私はそれを一生誇りに思う」。
1955年12月、小林寛澄さんは日本に帰国し、遠洋商船で中国語通訳となり、70歳過ぎまで働いた。退職後、小林さんは日中友好事業に従事し、日本八路軍新四軍戦友会会長を務めた。
2005年、小林寛澄さんは中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利60周年記念式典に招かれて中国を訪問した。日本に戻った後、小林さんはあちこちで報告や講演を行い、中国の大きな変化と急速な発展を伝えた。
9月1日夜、北京東方君悦酒店に到着した小林寛澄さん(左)。(小林陽吉さん提供)
10年後の今、小林寛澄さんは再び北京を訪れ、中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念式典に出席した。小林さんはこう話す。「私たちが中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年を記念し、若かりし頃の戦いの日々を懐かしみ、忘れがたい歴史の1ページを振り返るのは、日中両国の人々が永遠に友好的であり続けるようにするため。中国が盛大に抗日戦争勝利70周年を記念することで、国内的には、民族の精神を団結し民族の自信と誇りを高めることができ、対外的には、歴史を歪曲し侵略戦争を美化しようとする、歴史の流れに逆行する行為に警告を発することができる」。
小林寛澄さんは、「唯一の願いは、生きている間に真実の歴史を次の世代に伝え、日中友好が容易なことではなく、大切にするべきものであり、決して歴史の針を戻すようなことがあってはならないとより多くの人に知ってもらうこと」と語った。
「北京週報日本語版」2015年9月8日
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