クリシェンコ
グレゴリー・クリシェンコは1903年ウクライナに生まれ、ソ連の飛行大隊長を務めた。1939年、ソ連政府から派遣され、抗日戦争を支援するため爆撃機部隊2個大隊を率いて中国に赴任した。
1939年8月15日、クリシェンコ率いるTB-3型大型爆撃機隊は日本軍に占領された漢口飛行場の急襲に向かった。しかし武漢の上空で日本軍爆撃機隊から迎撃され、激戦の中で機体に損傷を受け、帰還時に制御不能に陥った。飛行機の破壊を免れるため、クリシェンコは優れた技術で飛行機を操縦して緊急着陸を試み、揚子江(長江)上に無事着水した。同乗した爆撃手と射撃手は機内から川に飛び込み、泳いで岸にたどり着いた。しかし、長時間の激しい戦闘と操縦で疲れ切っていたクリシェンコには機内から脱出する力もなくなっていた。情け容赦ない川の水は彼の若い命を奪った。
2009年9月14日、クリシェンコは中華人民共和国成立のために傑出した貢献を果たした英雄・模範100人に選ばれた。習近平国家主席はモスクワ国際関係大学で行った講演で、抗日戦争期に中国で尊い命を捧げたソ連の飛行大隊長クリシェンコを大いに讃えた。
「北京週報日本語版」2015年8月6日
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