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北京週報>>特集>>世界反ファシズム戦争勝利70周年
中国人民抗日戦争勝利70周年
>>ドキュメンタリー『光と闇--ドイツと日本の世界大戦反省』
 
ドキュメンタリー『光と闇』に見る独日の戦後教育

歴史というものは国によって観点が全く違う。この番組は日本とドイツの比較という内容であり、第2次大戦における侵略国という類似点から独日は比較されることが多い。しかし私個人から言わせてもらうと、類似点があるにはあるが、決定的な違いがあるのである。ドイツはユダヤ人大虐殺をナチスドイツが行ったという明確な事実があり、裁判の判決も言い渡しやすかった。しかし日本は日中戦争から第2次大戦敗戦までの間に、明確な責任者が存在しないと私は考える。責任者がいないからといって、侵略戦争に対しての責任がないと言っているのではない。軍部の暴走を止められなかった政府も安易な道へと走った。おりしもABCDラインが引かれていた時期であり、日本全体が国際社会に追い詰められていた。番組の中で昭和天皇に責任があると言う場面があるが、それもまた安直な考え方だと言える。確かに天皇は大元帥として日本国のトップであったが、戦争を始めよと彼が号令をかけたわけではない。天皇もまた軍部・政府・国民を止めることができなかった責任者の1人にすぎない。全ての日本人に戦争をとめられなかった責任があり、全ての日本人が加害者であり被害者なのである。

問題解決において武力を使うのは簡単である。勝ち負けがはっきりするからである。しかしそれで問題解決に導けたかというとそうではない。その結果が第2次世界大戦後の世界の荒廃した有様である。侵略した側の日本はアメリカにより焼け野原となり、ドイツは東西に分裂した。この悲惨な結果となるまでの過程を学ぶ歴史の授業における現代史に割く時間が、日本の学校はドイツに比べるとかなり少ない。私が高校生であった時も、ほぼ駆け足で通り過ぎた状態であった。「歴史」という領域において、戦勝国又は敗戦国の一方的な観点というものは存在しない。正しきこと、誤っていることを相互に確認してから、次世代に伝えられる「歴史」は作られていくものである。ドイツのカリキュラムのように、小学生の時から自分たちの国が他国を侵略したことを認め、その非人道的な過去を二度と起こさないように学ぶことは大切であり、そこからようやく被害国との対話という次の段階に進むことができ、協力関係を結ぶことができる平和的な世界を作っていけるであろう。

「北京週報日本語版」2015年7月10日

 

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