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北京週報>>特集>>チベット自治区設立50周年>>本誌特別報道  
「タンカは我が命」

タンカ協会を創設

北京から帰ってきて、ユムチュ・ロウ氏は自分の肩にかかる責任を感じ、タンカ協会を創設してタンカ芸術を伝承するという夢を実現しようとした。彼はすぐに県政府に炉霍県タンカ協会の設立に関する申請書を出した。2007年、炉霍県タンカ協会が発足した。

タンカ協会の設立当初に直面した問題は資金不足だった。最初に貸し付けてもらったタンカ事業発展に用いる5万元の資金はスタッフの給料を支払ううちにすぐなくなった。「タンカの絵師が集まり、タンカも出来上がったが、市場に対する理解が足らなかったため、販路が難題になった」とユムチュ・ロウ氏は語る。

「あの時は困った。妻が子供を産んだばかりで、電話で赤ちゃんにオムツを買ってと頼まれてポケットを探ると、30元しかなかったこともあった」。

船出は順調ではなかったが、ユムチュ・ロウ氏はなんとか持ちこたえ、タンカ協会を発展させてきた。「次第に、私たちのタンカは周辺や省外でもよく知られるようになり、カンゼ、金川などの絵師も仲間に加わるようになっていった」。ユムチュ・ロウ氏は、現在、炉霍県のタンカ絵師は2000人余りに達し、多くは経済収入を得ていると語った。

「タンカ協会を設立してすぐに貧困家庭出身の弟子を採用した。彼らの多くは身体障害者だ。またタンカ絵画の技法を男性のみに伝授し女性に伝授しないという長きにわたる旧俗を破った。学ぶ気持ちがあり、興味を持っていれば、男女を問わず、一つ残らず伝える」。ユムチュ・ロウ氏の話では、協会の設立から今まで、50人余りの生活上困難な家庭の子供に無償で絵画の技法を伝授し、子供たちの多くがそのおかげで自立している。一部の生徒は深圳、昆明、成都、上海などの大都市に招かれてタンカを描いている。タンカは彼らの運命を変えたのだ。

ユムチュ・ロウ氏は大型の郎卡傑タンカ芸術博物館を建設することを望んでいる。「博物館に郎卡傑のタンカ作品の模写を少なくとも400~500幅展示し、もっと多くの人たちにこの芸術を知ってもらい、郎卡傑の芸術の粋を残したい。また、博物館の隣に二階建ての教室棟を建て、もっと多くのチベット族の子供がここで勉強できるようにしたい。そうして初めて、この古い絵画芸術が失われずにすむ」。

 

ユムチュ・ロウ氏

炉霍県文化旅遊局局長、炉霍県タンカ協会会長、カンゼ州郎卡傑タンカ文化有限公司董事長

「北京週報日本語版」2015年6月25日

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