当時学ぶ機会を得るために歩んだ道のりについてヤンガさんは、チベット自治区の普通の子供として、大学で勉強し、教育をする立場になれたのは、国のチベットの教育に対する政策的サポートのおかげだ、と感慨深げに話した。ヤンガさんはチベット自治区のその他の子供と同じように、学ぶことで自らの運命を変えたのである。
修士号を取得し大学教師にもなったが、ヤンガさんがチベット医学に対する研究をやめ、情熱をなくすことはなかった。「チベット医学に対するさらに踏み込んだ研究をするには、それは始まりにすぎなかった」とヤンガさんは語る。
2003年、ヤンガさんは招聘に応じて米国を訪れた。米国の同業者たちと交流するうちに、ヤンガさんはチベット医学の研究に対する異なる医学理念の重要性を深く感じ取った。「米国にしばらく滞在して、今こそ本当にドクターコースに進むべき時だと思った」。ヤンガさんは、努力を経て、最終的にハーバード大学のドクターコースに進んだ。
再び大学で勉強するようになったヤンガさんにとって、原動力よりもプレッシャーが大きかった。「2年間に16の科目を勉強するほかにも、毎週、ハーバード大学神学院へチベット医学の歴史を講義しに行かなければならない。学生と教師の二足のわらじを履いていたため、忙しい毎日を送った」とヤンガさんは語る。
2010年、ヤンガさんは米国の仕事をやめ、生まれ育ったチベットに戻って、チベット医学の研究を続けた。今ではヤンガさんは西蔵蔵医学院大学院学生処の処長になっている。身分が少し変わったが、チベット医薬の歴史とチベット医薬の古典籍文献の研究に対する溢れる情熱はずっと変わっていない。
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