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北京週報>>特集>>中仏国交樹立50周年>>本誌特別報道  
中仏の友好関係を大きく促進

 

訪問は終わり、新しい一章が開かれた。中国総理の最初の西欧訪問は、幸先きのよいスタートを切った。華国鋒総理は西欧歴訪の最初の国として、十月十五日から二十一日までフランスを公式訪問し、熱烈な歓迎をうけ、円満な成功をおさめた。華総理は、中仏両国関係はかつてないレベルにまで達した、とのべた。

一週間にわたる訪問期間中、ジスカールデスタン大統領、レイモン·バール首相、上院および各地の指導者はそれぞれ華総理歓迎宴を催した。ジャック·シラク·パリ市長夫妻は華総理を歓迎するため、二千人の参加する盛大なカクテル·パーティーを開いた。華国鋒総理はジスカールデスタン大統領と単独会談と拡大会談を数回おこない、周恩来旧居記念プレート除幕式に出席した。このほか、華総理一行はフランス各界の人びとと会見し、多くの場所を見学した。

大きな成果をあげた会談

十月十六日、華総理は答礼宴でのあいさつで、フランス大統領との会談にふれ、「これらの友好的な、大きな成果をおさめた会談は、両国の友好関係をいちだんと発展させ、世界平和擁護事業における両国の協力をいちだんと強化するうえで大いに役立つであろう」とのべた。

ジスカールデスタン大統領はつぎのようにあいさつした―「われわれは互いに了解をとりつけた。この了解は、国際関係の一部重要問題にたいする見方が一致した結果であり、われわれが協力強化の期待をもっていることの結果であり、またわれわれが仕事をはじめるときからあった信頼の雰囲気の結果でもある」。

双方は、会談はうちとけてすすめられた建設的なものであり、大きな成果をおさめた、と一致してみなした。

今回の訪問で

●双方はともに関心をもつ国際問題と両国関係問題について、友好的な、ほりさげた話合いをおこなった。双方の国際問題にたいする見解には多くの共通点と類似点があった。双方は、会談の結果、相互理解が深まった、とみなした。双方は、接触と協商の強化に同意し、また中仏両国の協力強化が国際実務の面において重要である、と考えた。

●双方は両国間の友好協力関係について、一致して満足の意を示し、今後この関係を拡大する問題を検討した。会談の成果の一つとして、十月十七日、余秋里中国副総理とジャン·フランソワ·ドニオ仏貿易相が『中仏経済関係の発展について』という文書に、黄華中国外交部長とジャン·フランソワ·ポンセー仏外相が『領事機構の相互設置について』と『一九八○年―一九八一年の文化交流計画』の二つの文書に、それぞれ調印した。

パリ·オルリー空港でジスカールデスタン大統領に伴われ、陸海空三軍の儀仗兵を仗兵する華国鋒総理

●華総理一行はパリ、ルーアン、ブレストなどの訪問をつうじて、フランスの工業、農業、文化·科学技術など諸方面の状況と経験をみずから理解し、またフランス各界の人びととの接触をつうじて、両国人民の友情をいちだんと増進した。

●ジスカールデスタン大統領は中国政府の招きを受け入れ、来年の都合のいいときに中国を訪問することになった。

周恩来記念プレート―友好のシンボル

フランス政府は周恩来総理を記念するため、同時に周総理が中仏の友情を培い促進する面でなした大きな貢献を追憶するため、十月十六日、パリ南部のイタリア広場近くのオテル·ゴドフロアで、周恩来旧居記念プレート除幕式をおこなった。

故周恩来総理の青年時代のパリにおける活動は、中仏両国人民の友情をつちかい、その革命的な生涯は、中国人民からばかりではなく、世界人民からも尊敬されている。周総理が当時住んでいた部屋はゴドフロア通り十七番地の三階にあり、面積は四·五平方メートルしかない。記念プレートは大理石でつくられ、上の方に周総理の銅製のレリーフがはめられ、下の方には「周恩来(一八九八―一九七六)は一九二二年から一九二四年までのフランス滞在中、ここに住んだ」と彫ってある。周総理のフランス語訳の名前の上には、鄧小平副総理直筆の「周恩来」という中国語の三字が彫ってある。ジスカールデスタン大統領は除幕式であいさつし、周恩来総理は大きな魅力、すぐれた英知、学識の深い人であるとたたえ、「自分の記念碑をうち立てることをずっと望まなかったこの人にたいし、われわれはかれが自分の戦闘的生涯をスタートさせ、フランスに友好的な感情を抱いたところで、われわれの敬意を表わしたい」とのべた。

華国鋒総理は記念プレートのために除幕し、フランス政府と人民がこの儀式を挙行したことに感謝し、つぎのようにのべた―このプレートの除幕は、「周恩来総理にたいする永遠の追慕でもあれば、中仏人民友好のシンボルでもある」。周総理は生前もう一度フランスを訪れたいと念じていたが、遺憾ながら、その願いはついにかなえられなかった。しかし、周総理が強い関心を寄せていた中仏の友情の花は、いま咲きほこり、これからさらに絢爛たる光を放つであろう。

長い歴史

華総理はフランスを訪問中、パリとその他の地方を問わず、いたるところで大歓迎を受けた。華総理がパリに到着したとき、フランスの首都では何千何万という大衆が車の列の通る道の両側に集まり、華総理にあたたかい歓迎の意を示した。ルーアン市では、繁華街から市役所にいたる三キロ近い通りの両側が、歓迎の人波で埋まった。多くの高層ビルのバルコニーには人がいっぱい立ち、窓という窓から人びとが顔を出していた。車の列が通りかかると、あたりから歓呼の声がどっと起こった。これらすべては、中仏の友好が時代精神にかなっていることを物語っている。

アジアとヨーロッパは、地理的には遠く隔たっているが、実際には互いに連なっている二つの大陸である。北京からパリまでの飛行距離は一万八百キロもあるが、両国人民の仲はずっと近い。

中仏両国には、はやくから文化と貿易の交流があった。一九六四年一月、毛沢東主席とドゴール大統領の重視と推進のもとで、中仏両国は公式に外交関係を樹立し、両国間の友好往来は年ごとに増えてきた。中国と西側諸国との最初の経済協力協定、最初の科学技術協力協定、最初の航空協定は、いずれもフランスと結ばれたものである。これらの分野での協力は、いずれも喜ばしい成果をあげている。両国の指導者による相互訪問をつうじ、相互理解は大いに増進し、諸方面の交流と協力は大いに促進された。

中仏友好協力関係の発展には、好ましい基礎があり、それは両国人民の共通の要求でもある。それはバール仏首相が華総理を招宴したさいにのべたつぎの言葉の通りである―「われわれの友情は、多くの国際政治問題にたいする見解が共通しているという基礎の上に結ばれたものである。それはまた、文化、経済、社会活動など諸方面の協力をふまえて結ばれたものでもある。しかし、今日フランスと中国とを結びつけているもっとも大きな要因は、両国がともに民族独立の原則を堅持していることである。われわれ両国はともに、いかなる国の他国にたいする命令的なやり方にも反対している」。

周恩来記念プレートの除幕式にて

華総理は両国関係にふれて、つぎのようにのべた―中仏両国の友好協力のたえまない拡大と強化は、「われわれ両国人民の共通の要求であり、世界平和と安定を擁護する上でなくてはならないものでもある」。未来を展望して、「われわれ両国の協力の道はひじょうに広く、われわれは発展の前途にたいし確信をもっている」。

ルーアン市を訪問し、市民の温かい歓迎を受ける華国鋒総理

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