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北京週報>>特集>>中仏国交樹立50周年>>本誌特別報道  
中仏経済協力の新たな突破

 

趙紫陽国務院総理は四月十二日、北京の中南海で、フランスのクレッソン工業研究·対外貿易相と会見した際、半年らい、中仏両国の経済技術協力と貿易往来は新たな突破がみられ、中国はフランスが中国との協力で積極的な態度を示していることを歓迎し、貿易と技術譲渡を結びつけることができるよう期待するとのべた。

クレッソン女史は鄭拓彬対外経済貿易部長の招きで中国を正式訪問するとともに中仏合同委員会第五回会議を主宰するため四月十日に北京に到着した。訪問中、同女史はそれぞれ趙紫陽総理、李鵬副総理、陳慕華国務委員兼中国人民銀行行長および郵電部、電子工業部、核工業部、化学工業部、鉄道部、上海市、広東省の主な指導者と会見した。

訪問の成果として、中仏双方は期限五年の経済関係発展·協力に関する長期協定およびフランスの対中国借款供与に関する総協定と借款利用項目に関する議定書に調印した。これはフランスがはじめて中国に提供した開発のための借款である。

フランスの対中貿易が大きな黒字になることを予測して、双方は友好·率直·理解·協力の精神にのっとって、具体的措置を検討した。対外経済貿易部の責任者の一人である凌志存氏はつぎのように語った。中国は主要な伝統的製品の輸出を伸ばすと同時に、フランスが必要とし、中国が大量に輸出できる製品の輸出に力を入れていきたい。フランス側かEC内でしかるべき役割を果たし、ECに中国製品の輸入制限のワクをゆるめるよう促し、中国製品の西欧とフランス市場への進出により多くの便宜を与えるよう望む。

フランスは西欧諸国のなかで中国ともっともはやく貿易往来をはじめた国の一つである。一九六四年に両国の国交が樹立されていらい、両国間の貿易額は増えたり、減ったりしてきたが、全般的には増える傾向にある。両国の年平均貿易額をみると、一九六〇年代は一億一千万ドル、一九七〇年代は三億七千万ドル、一九八〇年から一九八四年にかけては、六億ドルを超えた。とくに一九八三年には、史上最高の七億八千五百万ドルに達した。一九八五年もいっそう伸びると期待されている。第1·四半期だけでも、十万回線のプログラム制御デジタル電話交換機設備、百五十台の電力機関車とその製造技術、A310―200エア·バス三機の購入契約および広州自動車工場とパゾ―自動車会社の小型貨物自動車組立·生産共同経営に関する契約が結ばれた。

「北京週報日本語版」1985.NO.17

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