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寺院

 

薩迦派(サキャパ)は昆氏家族を中心として形成されたものであり、9世紀の初め、貢覚傑布(ゴンジョジェポ)はネイマパから離れ、1073年サキャ地方でサキャ寺を建てて、次第にサキャパを形成していった。サキャのチベット語の意味は白色と無色であり、この寺は白土山の付近に建てられたので「サキャ寺」と称されたのである。サキャ寺の壁の上を青色、白色、赤色の三つの色で塗られているため、俗に「花教」とも呼ばれる。1449年に建立された哲域結蔡(ズェユィギェサイ)寺はサキャパの末期の重要な説法の場所である。カルギュパは「白教」とも呼ばれている。流派が多く、どの流派も自分の寺院がある。パツゥガルギュが1351年に建立した沢当(ズェダム)寺はゲルクパが興る前の有名な大きい寺である。1410年のチベット暦の2月5日、ツォンカパが主宰して建立するガンデン寺は開眼式を行い、そこでツォンカパをはじめとする新しい教派━━ゲルクパが形成され、「黄教」とも呼ばれている。1419年にツォンカパが死んでから、有名な弟子が多くなり、ゲルクパの勢力はいっそう強大になり、多くの寺院を建てた。絳央却傑(チャンヤンチュジェ)は1415年にレプン寺を建立し、その全称は「吉祥米聚十方尊勝洲」であった。レプンの意味は米聚(米を集める)であり、繁栄を象徴している。1418年、チャンヤンチュジェは明朝の都に赴いて永楽皇帝に謁見し、下賜された恩賞を使って色拉(セラ)寺を建立した。セラの意味はバラのことであり、すなわち「野ばらの園寺」であり、正式の名称は「セラ大乗洲」といわれる。ガンデン寺、レプン寺、セラ寺はチベットの三大寺と呼ばれている。1447年、根敦朱巴(ゲドゥンドゥバ)はシガズェにタシルンポ寺を建立した。その意味は、「吉祥須弥」であり、この寺は後に歴代のパンチェンが管理することになった。三大寺の中で、ガンデン寺はツォンカパが自ら経典を伝え、顕密二宗の円満な教え方の基礎をうち固めたため、ゲルクパの仏学研究センターとなっている。レプン寺は寺の主である扎希貝丹(ザシベタン)が権勢のある家柄の出身であったため、パツゥ政権との関係が密接であり、実際にはゲルクパの権力機関となっていた。ゲルクパのもう一人の重要な人物である根敦嘉措(ゲドゥンギャムツォ)はゲルクパの寺院の発展と管理のために大きな貢献をし、死後、パツゥの官僚の息子の索南嘉措(ソナムギャムツォ)が転生霊童と認定されてレプン寺に迎えられた。ゲルクパは正式に転生制度を推し進め、それによってダライ・ラマの称号ができた。ソナムギャムツォはゲドゥンドゥバ、ゲドゥンギャムツォを第1、第2世のダライ・ラマと追認して、彼は第3世のダライ・ラマとなった。

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