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寺院

 

チベット仏教はチベット族の伝統的文化の基礎であり、中国のチベットの政治、経済、教育、生活、習俗などの諸方面に、深い影響を及ぼしており、このような影響は寺院を通じてのものである。

チベットの寺院は最初は西暦8世紀に建立された。西暦779年頃に、吐蕃王赤松徳賛(チソンデツェン)が自ら主宰する下で、12年間を経て、サンユェン寺が竣工し、これはチベット仏教史上の最初の本当の意義を持つ寺院である。サンユェン寺の建立は、仏教勢力の上昇をはっきり示すものである。チソンデツェンが民衆を軽視し僧侶たちにほしいままにふるまわせたため、広範な民衆の反感を引き起こした。アチソンデツェンが亡くなってから、仏教は抑圧を受けた。9世紀末までに、チベットは百年余りの戦乱を経て、民衆は社会の安定、生産の回復を強く求めていた。奴隷制度の解体、封建農奴制度の形成により、新しい統治的秩序の確立が必要となり、仏教は再興した。

1054年、インドからチベットに来て説法した仏学の大家の阿底峡(アデシャ)が病死した。1076年、古格王の主宰の下で、托林(トリン)寺はアデシャを偲んで「火の竜の年の法会」を催し、規模は盛大をきわめ、仏教の復活と中興をはっきりと示した。その後、各地の寺院は雨後のタケノコのように建立されている。

チベット仏教はその後の発展の中で、次第に異なった教派が生まれ、各教派はそれぞれ自分たちの寺院を建立した。例えばネイマパは前後して16世紀の後期にラサ付近に多吉扎(ドジザ)寺を建立し、17世紀の中期に敏珠林(ミンチョリン)寺を建てた。この二つの寺はその後チベットのネイマパの二つの支系の発祥地となっている。ガタンパはチベット仏教の後期に生まれた教派の一つであり、1054年にラチェン寺を建てて、これを拠点としてガタンパとなり、その後博多(ボド)寺、怯喀(チュカ)寺、基布(ジボ)寺を建立するとともに、いくつかの小さな寺を併合して、管轄区域の広い寺院の集団となり、そのため教派は早く姿を消し、保存されてきた寺院も多くなく、シガズェの納塘(ナタン)寺はその代表的なものの一つであると言える。ナタン寺が栄えた時には3000余人の僧侶がおり、13部屋の経書収蔵室があった。その印経院はチベット地域の三大印経院の中の最初のものであり、大量のチベット文字の印刷本とお経の手書き本が珍蔵され、1732年、1742年に完成した大蔵経はチベット最古の印刷書籍であり、『ガンチョル』は聞くところによるとゲルクパの唯一の正統的な書籍である。

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