日本は明治維新以降、軍国主義の道に向かって進み、対外侵略拡張をはじめた。1895年に中国台湾を武力で占領したあと、絶え間なく中国に入り込んで武装侵略をしてきた。1930年代になると、世界をおそった大恐慌のショックで、日本の軍国主義は急速に膨らんだ。1931年に「九・一八」事変を引き起こし、中国東北三省を占領した。1937年7月7日、蘆溝橋事変を北平(今の北京)で引き起こし、全面的に中国侵略戦争を開始した。8月13日、日本軍は上海に進撃。8月15日、日本軍は国民政府の首都南京にたいして持続的爆撃を開始した。11月12日、上海は陥落した。
一、日本が軍備を拡張し、侵略戦争をたくらむ。
二、「九・一八」事変が瀋陽で発生し、日本軍は東北三省を占領。
1927年、中国東北侵略の方策が日本内閣で定められ、侵略戦争の準備ができたところで、1931年に関東軍が引き起こした「九・一八」事変によって中国ないしアジア太平洋地域に対する武力侵略の序幕が切って落とされた。
三、「七・七」事変は蘆溝橋で発生し、日本軍は華北、北平、天津を占領。
1937年7月7日夜、日本軍は兵士一名が行方不明になったことを口実に、宛平城を砲撃し、続いて蘆溝橋を攻撃、長いことたくらんでいた全面的な中国侵略戦争を繰り広げた。1937年7月29日、日本軍は北平を占領。
四、日本軍は「八・一三」事変を起こし、上海を侵略、占領。
「七・七」事変発生後、日本軍は中国南方に戦火を広げ、中国侵略戦争がいっそう拡大した。1937年8月9日、車を運転する日本軍2名が上海虹橋空港に押し入り、中国守備軍が停車を命令したにもかかわらず、中国兵士を射殺した。これを口実にして、8月13日に日本軍は戦車を出動し、閘北に無法に攻撃を仕掛け、「八・一三」事変を起こした。短期間で一気に上海を占領しようとする日本軍は、中国軍隊から粘り強く抵抗、反撃され、戦闘は3カ月も続いた。11月12日、上海は占領された。上海を攻撃すると同時に、日本軍は国民政府の都の南京城を無差別爆撃していった。
「北京週報日本語版」 2007年12月 |