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北京週報>>特集>>南京大虐殺70周年>>まえがき  
まえがき

1937年末から1938年初にかけて発生した南京大虐殺は、20世紀におけるもっとも暗い歴史のページであり、人類文明史上の大災禍でもある。中国を侵略した日本軍は中国人の人権など全く念頭になく、闇雲に中国人の生命、財産、生存、生活などの基本的権利を踏みにじり、六週間の間だけにも武装解除した中国の元兵士や多くの女性、高齢者、乳幼児を含めた罪なき市民を30万人以上虐殺した。しかも、同時期に南京市内では日本軍によって引き起こされた婦女暴行事件が2万件以上にものぼった。

城内の建物も焼き払われた。そればかりか、日本軍の殺人の手段は多様でむごたらしく、すさまじいものであった。「日本軍が南京を占領したあとに行った虐殺、強姦、略奪などは、まるで野蛮な時代の出来事のようだ」と、当時の『ニュ-ヨ―クタイムズ』の記事は書いている。

人類史上最も暗い部分ではあるが、人間性が輝く部分もあった。日本軍の残虐性とはまったく対照的に、各国政府からの注意勧告にもかかわらず、20人あまりの西洋人が南京にとどまり南京国際安全区を成立させ、20万あまりの南京市民を保護した。自らの安全もかえりみず、日本軍の銃剣に直面しつつ、難民の生存のために活動し、人々を感動させる人道主義の一楽章を創作した。彼らの崇高な人道主義精神及び平和事業にささげた努力は、歴史に刻まれ忘れられないだろう。

平和と発展は今日の世界の流れである。むごたらしい歴史から教訓をいかし、歴史から学びさえすれば、二の舞を演じることはない。そして、世界中の人々が戦争の芽を摘むための努力を続けることによって、公正かつ合理的で新しい国際秩序も作り上げられる。昔の苦痛を忘れたら、歴史の悲劇はまた繰り返されるものである。

1985年8月、侵華日軍南京大虐殺遭難同胞記念館が開館し、これまで1000万人の見学者が訪れた。肌の色も国籍も違う人々が、記念館が展示する血なまぐさい歴史から、平和のありがたさを教えられた。

20年来、侵華日軍南京大虐殺遭難同胞記念館は資料の収集、整理と研究を非常に重視し、発展を促進するように学術レベルの研究を拡大した。同館は1000余件の文物資料を収集した。「万人坑」(日本軍に虐殺された中国人の死体を集中して埋める場所)遺跡の発掘、確認は資料研究における長期間の空白を埋めた。「万人坑」遺跡の陳列によって、人々を震撼させる陳列内容が増した。同館は南京大虐殺の生存者を対象に、大量の調査と研究を展開した。同時に、多くの書籍を編集、出版し、シンポジウムを数多く主催した。持に中国、韓国、日本三国の150人あまりが出席した第一回「歴史認識と東アジア平和フォーラム」の開催は世界でも大きな反響を呼んだ。

『南京大虐殺図録』は同館の長年にわたった研究の成果である。400余枚の歴史の写真は厳密に選択され、そのうち三分の―が初公開されたものだ。同図録は七つの部分からなり、各部分が密接に関連している。同図録は南京大虐殺のむごたらしい光景を再現し、世界の友人の南京人民に対する人道主義的な救援を紹介し、平和を擁護する人々の大虐殺についての考えを紹介している。

日本の社会では今日の平和と発展の潮流に違和感を覚えさせる声もある。一部の日本人はしばしば公然と日本の侵略の歴史を否認する発言をし、ほしいままに歴史を歪曲、改ざんした。近年、一部の政治家の靖国神社参拝や教科書改ざんなどの事件によって、戦争の被害者たちはふたたび傷付けられ、侮辱された。日本と侵略されたアジア諸国の間の歴史認識におけるギャップは拡大した。このギャップを埋め、各国人民と真剣に対話・交流をし、歴史認識を一致させなければ、民族的な和解も恒久平和も真の友好も実現できない。

今日の人類社会では、地域紛争が相次いで発生し、世界はテロニズムの暗雲に覆われており、平和実現への道のりはまだ長い。歴史の経験から、世界の反戦平和勢力の大連合により、世界平和はいつかは勝ち取れるに違いないことがわかった。平和を願う人たちが手を結びさえすれば、人類平和の喜ばしい将来は必ずやって来るだろう。

「北京週報日本語版」

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