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北京週報>>特集>>斎藤文男氏のブログ  
◇杜甫はどんな蝶を見たのか◇
 

◇矛盾している「大漢和辞典」の説明◇

杜甫は一体どのような蝶を見て、自然の中の昆虫たちとこの季節を暫時共有しようとしたのだろうか。日本語の読み下し文で「蛺蝶」を「あげはちょう」としているのは、諸橋大漢和といわれる「大漢和辞典」(大修館書店)を参考にしているからだろう。同辞典(第二版第七刷、2007年)で「蛺蝶(ケフテフ)」の項には「あげはのてふ」とある。「蛺蜨(ケフテフ)」では「ひおどしてふ」とあり、「蛺蝶と同じ」と説明している。「蛺蝶」も「蛺蜨」と同じとしていながら種類の違う蝶では矛盾する。「蛺蜨」の説明では「蝶の総名」ともあり、杜甫の時代は「蛺蝶」は現代の「胡蝶」の意味で使われていたのかもしれない。

そうだとすれば、「蛺蝶」の対句が「蜻蜓」になっても不自然ではない。読み下し文で「花を穿つ胡蝶は…」とすれば、意味も対句もすっきりする。そうなると今度は「大漢和辞典」の説明が矛盾してくる。このため他の辞典でも混乱がみられる。「白水社中国語辞典」(2002年)では「蛺蝶」をヒオドシチョウとしているが、「講談社中日辞典」(1998年)では蝶、胡蝶としている。

70歳は古来稀だと表現した杜甫は、古希を迎える前の59歳で亡くなっている。私は古希を過ぎてもわからないことが多く、杜甫には申し訳ないと思う。

(写真は筆者写す)

「北京週報日本語版」2015年9月2日

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