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北京週報>>特集>>斎藤文男氏のブログ  
◇杜甫はどんな蝶を見たのか◇
 

◇頷聯では巧みな対句に◇

アゲハチョウ科の種類は、ギフチョウなどを除いて大型の蝶が多い。花を穿って深々ともぐって汲蜜することは、大きな翅が邪魔になってできない。翅を羽ばたきながら花に止まって汲蜜する種類が多く、杜甫の描写とは異なる。

=写真=羽化して間もなく自宅庭の木で一休みしたナミアゲハ(2015年6月22日、埼玉県狭山市で)

ヒオドシチョウであれば、花から汲蜜することはない。この蝶はオオムラサキなどと同様、樹液に群がって汲蜜するので、「花を穿つ」こともない。

結局、アゲハチョウ科なのかヒオドシチョウなのか特定できず、対句としてもぎこちない。ところが、3、4句の頷聯では見事な対句になっている。「尋常」と「七十」が一見しては対句になっていないようだが、さすが杜甫である。「中国では昔、8尺を“尋”として、その倍の16尺を“常”と呼んだ。そのどちらの単位もよく使われたことから“ありふれた”の意味になった。(「中日辞典」第2版)「尋常」の意味の「8と16」の数字に対して「70」の数字で巧みな対句にしている。

この詩は杜甫47歳(758年)の作とされている。1000年余り前の中国では「蛺蝶」が現在とは違った別な種類の蝶だったのだろうか。杜甫が朝廷に仕えていた時の春着を質屋に入れて酒を飲んでいた、というのだから季節は初夏だろう。ヒオドシチョウは成虫で越冬して春に産卵し、5月ごろ次世代が出現する。ナミアゲハは春から秋にかけて年に2~3回世代を繰り返す。ともに初夏に現れても不思議ではない。しかし、種類も汲蜜する習性もまったく異なる蝶なのだ。

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