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北京週報>>特集>>斎藤文男氏のブログ  
◇親の背を見て中国語を学んだ娘姉妹◇

 

日中英三カ国語の中で育つ娘たち

1992年の秋、大学を休学して南京大学へ留学した。中国でなければ留学はしなかっただろうが、結果から考えるとそのときは「日本の外から祖国と自分自身を見てみたかった」のだと思う。日本と似ているようでほんの少しの違和感を抱かせながら魅力満々の中国は、その点から言ってうってつけの国だった。

そこに留学していた中国系アメリカ人の学生と知り合い、結婚を機にアメリカに移住し現在は娘二人を授かった。彼女らの母語は日本語と英語だが、両親や祖父母が中国語を話しているのを聞いているので、耳は準備できていたのだろう。幼稚園から日中英の三カ国語を使用する私立学校に入学し、「李老師がねえ~、穿靴子穿靴子って言うんだよ」とよく使われる表現を覚えたり、「小朋友、想一想、什么動物鼻子長~」などの歌を覚えて来ている。

米国で「中国語ができるなんていいなあ」

2年の留学を終えて、日本の大学を無事卒業した。南京大学では中国人学生との交流をはじめ世界各国からの留学生と知り合いになることができ、「日中関係」という枠組みだけではない世界へ目を向けられるようになった。また、米国に住むようになって、今度は「アメリカの中国人社会」にも触れることになった。アメリカに住む日本の方々とも知り合う機会が多いが、「中国語ができるなんていいなあ」と言われることもしばしば。わかる言葉の数が多ければ多いほど、さまざまな視点を確保でき、物事を多角的にとらえることができる。社会に出る前に日中学院に通って中国語を勉強できたことは、とても幸運だった。平松老師のニュース聞き取りをやり始めた頃などは、何を言われているのかさっぱりわからず呆然としていたが、お世話になって本当によかったと思う。どうもありがとうございました。

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