父:斎藤文男(73)=本科18期生=の報告
~家庭的な雰囲気のクラス仲間~
1980年12月、水戸支局から東京本社に転勤となった。仕事は紙面を作る内勤の編集記者で、夕方から深夜にかけてである。翌1981年春、日中学院本科に入学した。大学を卒業してから15年目に再び学ぶ社会人学生になった。
学生は高校や短大を卒業したばかりの若い人に加えて、主婦、定年退職した年配者などである。年齢も10歳代から70歳代までかなりの幅があった。一般の学校で学ぶ同一年齢ではなく、親子や孫たちが一緒に机を並べているようで、クラス内は家庭的な雰囲気に包まれていた。休み時間や放課後には、定年退職者が現役の時の話や、私が事件取材や山火事、地震災害の話をすると、若い人たちは興味深そうに取り囲んで聞いていた。
月曜日から金曜日まで、毎日朝9時からの授業はまず発音練習である。一声から四声まで、クラス全員が「ma」の音で四声の発音を練習していると、学院の庭木にいたカラスが、最後の第四声の「マアー」の後に「カアー」と同じ第四声で続けた。発音を指導していた李秀清先生は真面目な顔で「そう、カラスの鳴き声は第四声ですよ。あの調子でね」と説明すると、また一声から発音を繰り返した。第四声のところにくるとカラスがまた「カアー」と真似をした。のどかで楽しい発音練習だった。
日中友好会館脇にある中国語専門学校の日中学院(2015年4月23日写す)
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