◇歌声は緑の風に乗って漂う◇
日中双方の国民の9割が、相手国に対して「よくない印象を持っている」という異常な時期であっても、紫金草合唱団は南京市の地元の人たちから大歓迎された。ともに歌った中国の合唱団や歌を聴いて感動した中国人学生らとも、心からの信頼や友情を確認することができた。領有権や歴史認識問題、さらには河村たかし・名古屋市長の「南京大虐殺事件」の否定発言で日中間の往来は途絶えているが、日中両国の歌声は、芽吹き始めた鮮やかな南京市内の街路樹を吹き渡る緑の風に乗って漂っているようだった。
懇親会を終えて「さよならは言いたくない」(我不想说再见)を歌いながら再会を誓った(南京市内のホテルで)
日中戦争で荒廃した南京市内に咲いていた「紫金草」の種子を日本に持ち帰り、平和の象徴“鎮魂花”として日本中に広めた、父親の山口誠太郎さんから運動を引き継ぎ、紫金草合唱団とともに何回も南京市を訪問していた長男の裕さん=茨城県石岡市=が昨年4月、88歳で逝去された。しかし、紫金草は年々歳々、日中両国で春には花を咲かせ、歳々年々、紫金草合唱団の活動は続く。紫金草の花と歌声がある限り、いずれ双方のわだかまりが消え、2000年来の信頼と友情を取り戻せることを、私は確信した。(写真はすべて筆者写す)
「北京週報日本語版」2014年5月5日 |