◇天安門前でにっこり笑顔の父子◇
最後の学年末の授業を終えて、中国にいる友人、知人に帰国の挨拶をするため北京に行った。初夏にしては小雨が続く異常な天候だった。この日は午前中、いつも原稿でお世話になっている北京週報社を訪問した。静かな木立に囲まれた5階建てのビルの中に北京週報社はあった。日本の新聞社の編集局は政治部、社会部、外信部、経済部、地方部などが大きな部屋に一緒に入っている。
北京週報編集部内で女性スタッフと記念撮影
各部に仕切りや壁はなく、どこでどのようなニュースが入っているかが一目で分かる。出稿元の各部と紙面をレイアウトする整理・編集部とが記事の扱いをめぐって直接やりとりができる。締切時刻が終わった後、部員とデスクが口角泡を飛ばしていたり、国内の支局デスクと編集者が電話で大声を上げながら怒鳴っているのもすぐにわかる。
騒々しい日本の新聞社の編集局内と違って、北京週報社の編集部内は整然としていた。編集スタッフは全員が淑やかな女性で美人ぞろい。個人のデスクはついたてで3方を囲み、一人ずつがそれぞれパソコンに向かって静かに仕事を進めていた。私の送った原稿もここで処理されるのかと思いながら、騒然とした日本の新聞社編集局とは随分違うものだなあ、と現役時代を思い出しながら見渡していた。
北京週報社のみなさんにお礼を言って、一人で天安門広場に行った。1977年の初訪中から何回か訪れている天安門前広場は、南朝四百八十寺の煙雨の中のように霞んでいた。北京の初夏には珍しい小雨の長雨が続き、南京の梅雨の時季のような天候だった。広さは37年前と変わらないが、周囲は柵で囲まれ、広場の中に入るのにザックの中や手荷物を細かく調べられた。改革開放政策で物質的には豊かになったが、何かピリピリとした緊張感が漂い心の豊かさが少なくなったように感じた。そんな中、天安門前の道路で1歳にみたない自分の子供を、若い父親が自慢するように頭上高く掲げてにっこり笑っている姿が印象的だった。日本では50年ほど前、高度経済成長政策の後に価値観が変化して、物より心の豊かさが見直されるようになった。中国もゆっくりではあっても、これからは物と心のバランスがとれた真に豊かな社会になっていくのだろう、とこの父子の笑顔を見て思った。
天安門前で子供を抱き上げにっこりする若い父親
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